『CHESS IN CONCERT』セカンドヴァージョン➃俳優紹介・中川晃教 | The Japan Official ABBA Fan Club

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昨年、『CHESS IN CONCERT』を観劇しに来た人や俳優陣に聞くと、この“フレディ”と言う人物が一番分かりにくいと言う。単なる“アホ”なのか、“目立ちたがりの自惚れ(うぬぼれ)や”なのか、果てまた“道化(芝居)”なのか?答えは「いずれも違う」と言うことである。

フレディのこの奇怪な行動を知る為には“ABBA”と言うグループのことを理解しなければならない。ABBAは10年の活動期間中、“世界ツアー”なるものは、僅か“3回”しか行なっていない。その理由の大元(大本)は、行く先々でメディアから“好ましくないインタビュー”を受けたからだ。ABBAはミュージシャンである。しかし世界中どこに行っても、質問されるのは「音楽以外」のことばかりであった。例えば「アグネタのヒップに1億円の保険がかけられたそうだが本当か?」とか「夫婦生活はうまく行っているか?」とか「この国に来て楽しみは何か?」とか。おおよそ音楽に関する質問は全くなかった。またABBAは我々日本人同様“非英語圏”の国民である。つまり普段、彼らが口にするのはスウェーデン語である。もちろん歌詞は、世界の通用するために“英語”を使っていたが、ネイティブではない。それゆえ、世界各国のメディアからの質問に“英語で”答えることは大変苦痛だった。言いたいことの半分も言えなかった。その為、ABBAは行く先々で“誤解”を受けた。「ABBAは愛想がない」「何がABBAだ!所詮ビートルズには勝てない」「アグネタのヒップは最高。それ以外はダサい男二名だものなあ。本当にビヨルンとベニーは必要なのか?いない方がいいんじゃないか(これは日本の有名作曲家、DJがNHKで堂々と語ったこと)」。ABBAは自分達の回答と違うことをメディアに書きたてられ、これが元で、海外にコンサートに行くのも嫌になった。特に、1978年、1980年に日本に来た際の質問や、評論家、その他音楽関係者の反応がシビアであったこともさることながら「ビートルズには到底適うわけはない」と言う輩の攻撃、乃至は馬鹿扱いでABBAはウンザリしてしまった。まるで「日本の恥をさらす」かのような質問や解説が目立った。それまでABBAは“日本びいき”だったが、この2回の来日の際のメディアや評論家の扱いでABBAは、すっかり日本嫌いになってしまった。その結果、2002年、劇団四季『マンマ・ミーア!』初日の際には舞台挨拶を前日に“ドタキャン”し、来日しなかった。『マンマ・ミーア!』は、どの国で行われても必ず、初日には、ABBAのメンバーの誰かが出席する。しかし、“唯一”来なかったのは日本だけである。その理由をメディアや音楽関係者や評論家は、よくよく理解してほしいものである。

ABBAのビヨルン、ベニーは“世界一の作曲・作詞家コンビ”である。自分達の音楽をメディアにコケにされたことは、彼らにとって、悔しいと言う3文字では表せない程の苦痛だった。

フレディと言う役は、そのビヨルン・ベニーへの「マスコミ(メディア)に対する痛切な非難」のモチーフである。フレディは『CHESS』をしに来たのに、メディアから聞かれるのは、それ以外のことばかりだ。このメディアのくだらない質問に翻弄され、フレディは「頭がおかしい」「狂っている」と言う勝手なレッテルを貼られてしまい、『ワールド・CHESS・チェンピョンシップ』に集中できなくなってしまう。そして…。

今回、フレディの心の動きや発言に注視してみれば、前出の件がおのずと明らかになってくる。

だが、これだけでは単なる“メディア批判”だけの象徴になってしまうので、“幼稚性”“世間知らず”“身勝手”と言う性格を加えて、フレディと言う役柄が誕生したのである。フレディは他人を責めるのは得意だが、責められるのは弱いことも性格の一つだ。

フレディの中で特に目立つ曲は「ワン・ナイト・イン・バンコク」と「ピティ・ザ・チャイルド」である。中川晃教と言う俳優は“天使の声”を持つと言われ、主催者再度では「ピティ・ザ・チャイルド」に期待を寄せているが、敢えて言いたい。「ワン・ナイト・イン・バンコク」を歌いこなせてこそ、本当の意味で“フレディ”になる。

1986年『CHESS』ロンドン公演で初日で観た、『CHESS』オリジナル・メンバーのマリー・ヘッドの「ワン・ナイト・イン・バンコク」は、鳥肌が立った。それゆえに、ミュージカルとしては異常の人気を世界中に博したのだ。あの「ふてぶてしい」態度、「人を上から目線で見る風貌」。これこそが、『ワールド・CHESS・チェンピョンシップ』で負け、新しくメディアの側に立った“NEW・フレディ”なのだ。この曲は“ラップ”である。曲に合わせて歌う必要はない。自分の歌に曲が付いてくればいいのだ。中川フレディの「ワン・ナイト・イン・バンコク」に大きな期待をかけたい。

なお、フレディのフルネームは、フレデリック・トランパー、通称“フレディ”である。

<フレディ役…中川晃教>

小学生時代から作曲を始め、地元の学校に通いながら音楽活動を続ける。東北高等学校を経て東北文化学園大学入学。

高校在学中、地元のテレビ局でとり上げられ、徳間ジャパンのプロデューサーの目にとまり、2001年8月1日自身が作詞作曲をした「I WILL GET YOUR KISS」でデビュー(2006年に独立)。同曲にて第34回日本有線大賞新人賞を受賞する。

TBS系ドラマ『マリア』の主題歌に起用されスマッシュヒットとなる。同年発売された2ndシングル「I say good-bye」もテレビ朝日系ドラマ『最後の家族』主題歌に起用される。

2002年、日本初演となるミュージカル『モーツァルト!』の主演に抜擢される。初舞台で数々の賞を受賞するという前例のない快挙を成し遂げた(読売演劇大賞優秀男優賞、杉村春子賞 、文化庁芸術祭賞新人賞、月刊誌『ミュージカル』男優部門第一位など)。

宮城県より『みやぎ夢大使』、気仙沼市より『リアスさんりく気仙沼大使』に任命。

2004年、First Album『中川晃教』が台湾でリリースされCDデビュー。自身の楽曲を使用した初のLIVE ACT「himself」 を上演。劇団☆新感線・初の本格的ロックミュージカル『SHIROH』に神の声をもつ少年シロー役で主演を務める。

2005年、台湾で初のコンサートをRed Play Houseにて行う。

2006年、数多くの映画音楽を手がける世界的作曲家マイケル・ナイマン率いるマイケル・ナイマン・バンドの来日コンサートにゲスト出演をする。吉村作治の早大エジプト発掘40年展のオフィシャルテーマソング「BLUE DREAM」書き下ろす。音楽・演出を手掛けたLIVE ACT第二弾『BLUE DREAM』を上演。

2007年、蜷川幸雄演出の舞台『エレンディラ』にウリセス役で主演を務める。日本版として初舞台化されたロックオペラ『Tommy』に主演。

2008年、ファッションと80年代の音楽をイメージした『SHAMPOO』、アコースティックなサウンドを確立した『BOB』、物語とライブ感を重視した『SKIN』の3つの音楽プロジェクトを立ち上げ、コンサートツアーを行う。SHAMPOOはテクノポップ、BOBはアコースティック、SKINはロック。

2009年、ピアノ・バイオリン・アコースティックギターによる初のクラシックホールでのプラグレスコンサートを行う。

舞台『女信長』に明智光秀役として出演。劇中歌である「明智光秀のテーマ」、「愛に生きる」、「女信長のテーマ~Desert Rose」の作詞・作曲を手掛ける[8]。

NHK金曜ドラマ『コンカツ・リカツ』でTVドラマに初出演。同年、NHK大河ドラマ『天地人』で徳川秀忠役を演じる。

2010年、新潮劇院の京劇公演『孫悟空vs孫悟空』の三蔵法師役に抜擢され、中国人京劇俳優に交じり京劇に初出演。

岸谷五朗と寺脇康文によって結成された地球ゴージャスのプロデュース公演『X day』に出演。

『SAMURAI 7』に初の悪役となる天主ウキョウ役で出演。

12月、ミュージカル映画『The Wiz』の世界を表現するコンサートに挑戦。ピアノの演奏に乗せて数々の役を一人で歌い演じる。

2011年、「2010台北国際花博覧会」で、台湾で注目されているデザイナーJasper Huang(黃嘉祥)が手掛ける『遠東流行館「花の新しいファッションショー」』の音楽制作を担当する。

2012年、トルコ行進曲、白鳥の湖、運命など、クラシックのアレンジを中心としたライブ・アルバム『POPSSIC』をリリース。

☆ディスコグラフィ☆

アルバム

『中川晃教』 2001年12月5日リリース

『himself』 2004年3月17日リリース

『オアシス』 2005年5月25日リリース

『砂漠』 2005年6月22日リリース

ライブ・アルバム

『THE LIFE IS CONTACT』 (公式ファンクラブ取扱) 2009年10月20日リリース

『プラグレスコンサート2009』(公式ファンクラブ取扱) 2010年7月リリース

『AKINORI NAKAGAWA CONCERT 2012 “POPSSIC” 』 2012年12月28日リリース

ベスト・アルバム

『Akinori Nakagawa 2001-2005』 2006年2月22日リリース

シングル

「WILL GET YOUR KISS」2001年8月1日リリース

「I say good-bye」2001年11月7日リリース

「White Shiny Street」2002年5月29日リリース

「マタドール」2004年1月7日リリース

「セルの恋」 2005年8月17日リリース

「終らないクリスマス」2007年11月21日リリース

続く

*中川晃教プロフィール参照