電子書籍で出版した「網走五郎・神社物語」、今日の掲載は (20) 大阪国学院に入学 。

 

 昭和6 041日、五郎は大阪国学院に入学した。

 大阪国学院の歴史は古く明治15年に遡る。大阪府皇典講究分所として坐摩神社社務所に事務所を置いて誕生し、神職養成機関としての歩みが始まった。明治41年、大阪国学院と改称。多くの神職を輩出してきたが、戦後神職養成は中断を余儀なくされた。

    昭和52年、神職養成通信教育部直階課程、翌年には権正階課程が開校。まとまった時間を取りにくい人へ神道に関する基礎知識と祭式、禊錬成行法などを教授し神職資格取得への道を開いた。

    五郎が入学した昭和60年には神社本庁の認可が下り正式に全国公募となった。受験資格は満25歳以上65歳以下で高等学校卒業以上の学歴を有し、敬神の念篤く、必ず神職になろうとする志が堅い人で、都道府県神社庁長の推薦を受けた男女となっている。

  定員は50名で北は北海道から南は沖縄まで150名以上の受験者で賑わった。筆記試験のほかに面接試験が重視され、神職の資格を与えるに足る人材としての信仰心や品性などが問われた。

信仰心や品性のない五郎が、三倍以上の競争率を突破しての合格は、保証人に沖縄県神社庁長吉田玄蕃がなっていたからであろう。