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2026年8月16日日曜日
「網走五郎・神社物語」、今日の掲載は
(40) 拡張型心筋症
平成8年(1996年)12月1日、五郎はNAHAマラソン11回目の完走を目指し、奥武山運動公園をスタートした。ところが32キロ地点で制限時間内に間にあわず足切りにあった。練習不足かと思った。しかし翌年は中間地点でリタイア、その翌年は10キロ地点でリタイア、だんだん走れなくなって来たのである。
平成12年(2000年)6月初め、胸の痛みと呼吸困難で夜中目覚めるようになった。疲労感と息苦しさが激しくなったので7月4日那覇市にある大道中央病院でカテーテル検査を受けた。拡張型心筋症と診断されたのである。
医師は言った。
「この病気の人は、あまり長くは生きられません。原因不明のため治療法もありません」
五郎は帰宅後、インターネットで拡張型心筋症を調べた。国の難病に指定されており、5年生存率5割・10年生存率2割と書かれていた。
五郎はこの病気の発症を機に、17年間止めていた酒を再び飲み始めた。
『我慢するのはもう飽き
た!』
もともと五郎は大の酒好きであった。しかし神主になって一ヶ月後、飲酒運転で捕まり、4日間留置所に入れられた。この時、事務局長から「酒を止める気はないか」と暗に神社に勤めていたければ酒は止めなさいと言われたのである。
五郎はこれを機に断酒していたのだ。
しかし残り少ない人生と分かった以上、大好きな酒をたっぷり飲んで楽しんで生きることにした。
ところが5年過ぎても10年過ぎても元気に生き続けていた。原因不明で治療法も無いため薬を飲むこともなかった。
発症から11年過ぎた平成23年11月23日、咳が激しく出て呼吸が苦しくなった。風邪かと思った。
この日は祭日で一般の病院が休みのため翌日病院に行こうと思ったが、あまりの息苦しさで、急遽、救急病院である沖縄協同病院に向かった。診察を受けているうちに、さらなる呼吸困難に陥り意識を失った。
気が付くと集中治療室で酸素マスクをつけ、腕には点滴注射が打たれていた。風邪ではなく拡張型心筋症の悪化から来たことを知らされた。
いよいよ寿命が来たと思った。
『同じ病気の者は8割以上が既に亡くなっている。発症してからの11年間、好きな酒もたっぷり飲めた。楽しい人生であった』
五郎はベッドに横たわりながら66年間の人生を振り返った。しかし1ヶ月後、体力を回復し退院した。
退院する時、医者から言われた。
「現在は良い薬が開発され、生存率も伸びてます。薬は飲んでください」
五郎は発症から26年過ぎた現在も、元気にボクシング指導に励んでいる。



















































