電子書籍で出版した「網走五郎・神社物語」、 今日の掲載は(15)東京大神宮で神職研修 。

 

  富士山本宮浅間大社を後にし、金城事務局長と五郎は翌日東京都千代田区富士見二丁目に鎮座する東京大神宮へと向かった。

 東京大神宮は明治天皇の命により伊勢神宮の遥拝殿として明治13年に創建され「東京のお伊勢さま」と言われている。

 御祭神は天照皇大神・豊受大神・天之御中主大神・高御産巣日神・神産巣日神・倭比賣命で、神前結婚式発祥の神社でもある。

東京大神宮に着くと、松山能夫が直接玄関まで出迎え応接室へと案内された。 金城と松山は話が弾ずみ、五郎の二ヵ月間の神社実習を快く引き受けてくれた。 3時間後、金城は五郎を残し沖縄へ帰った。

 一人になった五郎に松山は言った。

「北方領土へ泳いだからといって、大きな顔をされては困る。問題を起こしたらすぐ帰ってもらうからね」

東京大神宮には国学院大学の学生男女十五名が実習生として寝泊りしていた。 皆45名の相部屋だったが、五郎だけは特別待遇で十畳ほどの立派な和室が与えられた。

 神職教育もマンツーマンで、のち愛知県諏訪神社の宮司になった山口泰昌があたった。

午前五時起床、午前五時半から日供祭。 日供祭とは神様へ食事をお供えするお祭りで、毎日行なわれていた。 五郎は起床後、まずそれを学んだ。

『神様は本当に人間のように食事を頂くのだろうか?

興味をもって観察した。 しかし朝お供えした食事は夕方になっても、そのまま残されていた。

『神様は食事を食べていない、神社に神様はいない』

五郎は単純に神の存在を否定した。 (神の存在は後に学ぶ)

午前六時から午前八時は15名の実習生全員と社殿及び境内を寒冷の中清掃。 清掃を終えた後、朝食。 目刺しに漬物・味噌汁にライスと質素なものだった。

午前九時からは大祓詞奏上。 大祓詞は六月と十二月の晦日に、前の期間の罪過を一掃するための祝詞で、奏上するのに約十分かかる。 これを東京大神宮では毎朝行い、月初めと月中には連続十回行なうのである。

午前十時からは、神社祭式行事作法を教わった。 この作法は沖縄県護国神社に戻って勤務するに当たり最も重要な作法で、五郎は、ひときわ真剣に学んだ。

 座って行う座禮と、立っておこなう立禮とがあり、主に座禮で学んだが、終わった時は、脚が痺れて立ち上がれなかった。

 正座・跪居・蹲踞・祗候・起座・著列・屈行・曲折・拝・揖・平伏・磬折・警蹕・持勺・正勺、また祓主・大麻所役・塩湯所役・陪膳・膳部・手長・御鑰後取・祝詞後取・玉串後取・案後取・薦後取・軾後取……。

五郎にとって何もかもが目新しく、吸い取り紙が水を吸い取るように、山口の教えを次々と吸収した。 ハードだったが全てが楽しかった。

1ヶ月が過ぎたころからは、五郎も結婚式や地鎮祭の祭員として奉仕するようになった。 東京大神宮は結婚式発祥の神社とあって、結婚式はホテルも合わせると毎日30件以上が行なわれ、2ヵ月後には五郎も副祭主を勤めるまでになっていた。

 331日、2ヶ月間の神務実習を終え、五郎は沖縄県護国神社に戻った。