2024年3月23日 土曜日

電子書籍で出版した「網走五郎・神社物語」、奥武山ボクシング会館が休みの日、 最初から順次連載しています。今日の掲載は (78) 暴力団の排除。

 

(78) 暴力団の排除

   参拝者が増え続けた大きな要因は宣伝の他に二つあった。

   一つは右翼団体及び暴力団を排除したことである。五郎が勤め始めた頃の沖縄県護国神社の正月境内は右翼団体と暴力団の溜まり場であった。当時の宮司代務者 大野康孝が右翼団体と強い繋がりを持っていたからである。

  沖縄の右翼団体は暴力団と一体だったため、生粋の暴力団員も我が物顔で参拝に訪れていた。そのため一般参拝者が怖がって参拝に来なくなっていたのである。

   五郎は北方領土へ泳いだことから、右翼団体から一目置かれていたので彼等の参拝に抵抗はなかった。しかし金城事務局長と下地宮司は彼等の参拝を嫌った。神社方針として、正月期間中の右翼団体及び暴力団の祈願受付禁止が打ち出された。受付応対は巫女がおこなったが、巫女では断りきれず五郎が代わって断るのが常だった。

   右翼団体は五郎の要望を素直に受け入れてくれたが、暴力団はそうは問屋が卸さなかった。

   ある年の正月元旦午前一時、五郎が新年祈願祭をしていた時、五十名ほどの暴力団員が御社殿に入り、新年祈願の申し込みをした。受付には巫女と警察官を定年退職して神主になった大山肇がいた。二人は蛇に睨まれた蛙のように、祈願を受け付けてしまったのである。

 そのことに気付いた五郎は、受付に行き神社方針として祈願が出来ない旨を暴力団員に説明した。ところが次の言葉が返ってきた。

「祈願を受け付けておきながら、出来ないというのか」

「はい、出来ません」

「ふざけたこというんじゃねえ。お前、名前、何ていうんだ」

「渡辺尚武です」

五郎は本名を名乗った。

「覚えて置くからな」

男は捨て台詞をはいて五郎から離れた。そして仲間達に指示し、本殿前の椅子に着席した。さらに御社殿の戸を外部から見えないように閉め切ってしまった。

「早く、祈願祭をはじめろ!」

   もう五郎の手におえない状態になっていた。

この時、お守り授与所にいた金城事務局長の奥さんハルが異変に気づき駆けつけた。そして椅子にふんぞり返って座っている組員達にキッパリと言った。

「祈願祭はできません。御社殿から出ていってください。さもなければ警察を呼びます」

   組員達は悠然と席に座り、立つ気配を示さなかった。ハルは五郎に警察を呼ぶよう指示した。まもなくして数十名の警察官が到着した。彼等は警察官の説得にあい、すごすごと引き上げていった。

   この事件を契機に右翼団体及び暴力団の初詣参拝はピタリと来なくなった。沖縄県護国神社は右翼団体及び暴力団の新年祈願は受け付けないと、各団体に知れ渡ったのである。参拝者はその後、大幅に伸び始めた。