2024年1月20日 土曜日

電子書籍で出版した「網走五郎・神社物語」、今日の掲載は (50) 神社本庁加盟問題。

 

 (50)  神社本庁加盟問題

   沖縄県護国神社は神社本庁に加盟していない。加盟しない理由は靖国神社と同じ、宗教団体である神社本庁に加盟すると国営化への道が遠のくからである。

   戦災で焼失した沖縄県護国神社が再建されたのは、昭和34年であるが、この時、宗教法人ではなく公益社団法人としてスタートした。国家のため亡くなった人達を国家が護持できるよう、一日も早く国営に戻したかったからである。

   しかし昭和47年の本土復帰にともなって、宗教法人にならざるをえなかった。その時の模様を沖縄県護国神社初版の神社規則で次のように述べられている。

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《 本神社は、その御祭神の性格から、一般の神社とは異なり、由来別格であった。今日においても郷土出身全戦没者を合祀し、また本土関係沖縄戦々没者を合祀する本神社は、公共の社殿であると信じる。したがって祭祀も公共の行事として執行すべきである。国法をもって靖国神社の国家護持と共に、本神社が沖縄県によって護持されるよう、その日の早きを念願するものである。本神社の復興は遺族の願望であり、一般県民にも、その重要なることが認められながら、戦後、日本国憲法改正により、宗教法人となることを余儀なくされたが、過去の歴史的事実を不動のものとし、戦争犠牲者を無為に葬るべきではない事を強調し、県民感情を無視できないものとして、英霊の威徳をしのび報恩感謝と、慰霊顕彰の誠を捧げる事が平和の礎となり、郷土の繁栄と発展を願う上に重要なことであると信じる。 》

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   沖縄県護国神社を再建するに当たっては、一セント募金といって小・中学生までが学校単位で協力した。国営化への強い願いが込められていたのである。

   しかし設立当初の役員は高齢で次々亡くなっていった。最後に残ったのが金城勝一事務局長であった。

   金城は常々言っていた。

「全ての役員が神社本庁加盟に賛成しても私は反対する」

   金城勝一は神社本庁からの再三の誘いも断り、設立趣旨はしっかり守られていた。ところが金城勝一が亡くなると状況が一変した。下地純一宮司が神社本庁に加盟すると宣言したのである。五郎の再三の忠告にもかわらず、考えを変えなかった。神社本庁から派遣されて来ている沖縄県神社庁長の誘いに乗ってしまったのである。神社職員も皆、宮司の一声で神社本庁加盟の方向へ流れた。金城勝一の息子和輝までが加盟に賛成した。神社本庁加盟は時間の問題と思われた。

   五郎は役員会の席での発言が許されなくなったため、下記の文書を役員達に配った。

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神社本庁加盟についての私の意見

 

   金城事務局長が亡くなるまでは、「沖縄県護国神社は靖国神社の分社である。したがって靖国神社が加盟しない限り加盟しない」と当神社の主張は一貫していました。故今井役員も加盟には反対していました。故我喜屋監事も反対していました。故大城副会長も反対していました。設立当初の全役員が加盟に反対していました。

   神社本庁に加盟すると国営化への道が遠退いてしまうから反対していたのです。国のため亡くなった人を国が護持するのは当たり前のことです。

   故我喜屋監事は、「加盟すると波上宮と同じ状態になってしまう」とも言っていました。

即ち沖縄県主導の神社ではなく、ヤマト主導の神社になることを憂いていたのです。

   人事権はもとより境内の木1本伐るのも、神社本庁の許可が必要になります。神社本庁への納付金も毎年納めなければならなくなります。

   神社本庁に加盟した場合の最大のメリット、それは私物化される心配がなくなることです。

沖縄県護国神社は沖縄戦で亡くなった全国の御英霊を合祀している神社ですから、一家一族で引き継いでいく世襲制の神社ではありません。しかしこれは設立趣旨に沿い、国家護持の方針を堅持する限り心配いりません。

   また加盟しないと神職の教育が受けられず、神職不足になるとの意見もありますが、私が勤める以前、1人だった神職も現在は名へと増えています。よって神社本庁への加盟は反対である、とうのが私の意見である。

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   この文書を配布した時、下地宮司が怒鳴った。

「何をするのか!」

   しかしこの怒声は逆効果となった。役員たちは配られた文書を真剣に読み始めたのである。そして流れは変った。

   代表役員座喜味和則が言った。

「今日、結論を出すのではなく、しばらくの間、勉強会を開こう」

   座喜味の提案により勉強会は一年半続いた。

   役員の崎濱秀平と職員一人が九州数社の護国神社に、神社本庁に加入した場合のメリット・デメリットの聞き取り調査に出向いたりもした。

   平成1924日、役員会は結論を下した。

「当分の間は神社本庁への加盟は見合わせる。当分とは社会情勢の変化によって検討する」

   役員の太田政弘が言った。

「沖縄特別措置法の中には、年数を定めず、当分の間という表現は沢山ある。当分の中には三十年以上のものも沢山ある」

   五郎の意見が通り、神社本庁加盟は否決されたのである。