1999年の昨日、6月21日日は娘の周(あまね)の命日。今日は墓参りと父の日を兼ねての家族との会食をしてきました。

生きようとして精一杯頑張っていた彼女。
2ヶ月半しかこの世にいなかったけれども私の指を強く握ってくれたあの掌やか細い泣き声、私のお腹の上で眠ってくれた愛しい時間など忘れることはありません。

当日の私は私立の幼稚園教諭で、育休取得を希望。解雇の危機もあったが女性少年室(現在の雇用均等室)の支援に支えられて育児休業を取得し2カ月半の大切な時を過ごすことができました。

その後娘は逝去し職場復帰。夏休みが終わるまで休ませてくれたことには感謝しています。

職場復帰後には男性の園長から「いろいろあったけれど、育児休業取っておいて良かったな」と理解の言葉をもらったこと。今も鮮明に覚えています。

そして、「娘さんのことは大変だったけど男の人が育児休業を取るのは間違いだったとよく分かったでしょ」「あなたも大変だったかもしれないけど、あなたが居ない間私たちも大変だったんだ」と立場のある女性に言われたこと。自分の責任を果たし、年度内の退職を決意した瞬間のことも忘れません。

このことは彼らが悪いのではなく、世の中の価値観がそうさせるのです。

だから男女共同参画社会を進める取り組みは私のライフワークになっています。

「人の足を踏まない。人に足を踏ませない社会」を目指し、多様性を重視する私の考え方の根幹をなす部分でもあります。

さらに育児休業は日本を含め世界中で労働者の権利に位置づけられています。
だから労働への価値観や社会の考え方に左右されることになるのです。

それでも1999年よりも育休取得者は増えました。
でもやっぱり労働者の権利のままです。

障碍のある子どもが通う児童デイは、民主党政権の時代に児童福祉法に基づく事業に変更することができました。

ならば育児休業も子どもの生存権に基づいて、子どもの権利として親は取得しなくてはならないように法的位置付けを変更できるはずだと私は考えています。

国民民主党全国青年委員会は私のこの思いを受け止めて、青年委として政策提言を国民民主党玉木代表に提出しています。

国民民主党はそれを受け止めて育休を男女共に取得しやすい社会を構築するために取り組みを進め、今もアンケート調査を実施するなど積極的に進めてくれています。

とてもありがたいことです。

しかし、私はここで諦めません。

人生の残されたすべての時間を使ってでも、いつか育児休業を労働者の権利ではなく子どもの権利に変えるのです。

このことを世界ではじめて日本からなすことで、チルドレンファーストを日本から大きく前に進めたい。

子どもには愛され、生きる権利があります。

生活補償とその後のキャリア保証がしっかりなされた育児休業によって子育てを男女共に行う社会をつくりたいのです。

男性も女性も子育てによって成長することができます。

子育て経験のある人々が社会の中枢を占めるようになることで、優しい、包容力のある世の中に自然とシフトしていくのです。

私は信じた道を歩みます。
感謝合掌