グッジョブ&グッチョイス | 負けるが勝ち犬

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40歳を前に突然会社を辞めてしまった女、独身。しかし、ここからが真骨頂の「リアルタイムサクセスストーリー!」…勤労意欲をなくすこと1年10カ月。のち、不惑にして東京デビューの荒技に出るも、2年後の春にリストラに!またまた崖っぷち~!

昨日書いた内容のことだが…

ホントに思い至ったこととちょっとズレてたかも。

ということに気付いて

若干書き直したいと思う。


過去の出来事は

必然・必要・ベスト


ってことには違いないんだが

これはどちらかというと

起きてしまったこと=過去の受動的な出来事についての諦め方だと思う。


一方で

起こしてしまったこと=能動的な出来事、いわゆる やっちまった系の行動

たとえば


あんなことを言ったから嫌われちゃったのかも

あそこであんなことを言わなければ

なんでこれを選んでしまったんだろう

あっちの道を選んでいたらよかったのに

etc.


こういったことに対して、悶々反省というか、反芻してしまいがちなオラ。

だが

これって、「失敗」のラベルを自ら貼ってしまっているわけだけど、これまでの人生を振り返ってみると、その失敗があったからこそ見えてきた方向性があるわけで…

やっぱ人生は塞翁が馬なわけで…


って考えてみると

今は失敗に思えるかもしれない やっちまった系の出来事っていうのは、じつは失敗でも成功でもなく、単なる出来事・プロセスなのではないかと思うに至ったんである。


それに

過去にはイジメとかリストラとか、大変なこともいろいろあったけど、そのときの自分に今の自分がエールを贈るとしたら

「とにかく大丈夫だから!」

ってことになるわけで


結局

どんな行動をとろうと、何を選択しようと(たしかに、渦中にいるときは辛いけど、だとしても)生き続けているかぎりは、大丈夫にしかならないのが人生なのではないかと。


ということは

どんなときでも、どんなことに対しても

「常にグッジョブ&グッチョイス」をしているってことじゃないか!?


過去の出来事もそうだけど

未来のことに対しても

間違ったらどうしよう

とか、本当は心配する必要はないのではないかと思うのである。


どの道をどうたどっても、すべては人生を彩る素晴らしい道に違いない。


ともあれ

やっちまったことをクヨクヨ悩む必要なし。

たとえそれでご縁が切れてしまったのだとしても、この時点で切れる必要があったのだから起きたのだと思う。きっと、あとになって「よかった」「大丈夫だった」もしくは、もう気にもならない出来事になっているはずだ。



なんだかものすごい開き直りだな、しかし。

やっぱり おばちゃん化…あせる



東日本大震災復興支援プロジェクト「ツナガルJAPANプロジェクト」