今日は打ち合わせがあった。
今一番楽しみにしている仕事の打ち合わせだ!
おのずと力も入る
ハズだったのだが…
同行した某東証・大証一部上場企業の、いわゆる、エリートビジネスマンの方のつくってきた文章に衝撃を受けてしまった
オラの書いた文章をリライトしてきてくださったのだが
それが、あきらかに素晴らしい文章なのだ!
もう、小説家になれそうなくらいに巧みな文章なのである。
やっぱ、デキる人っていうのは、何をやらせてもデキるんだなぁ…。
だから、そのような超一流大企業にも就職できたんだろうし
そこでバリバリ仕事もやれているんだろうなぁ…。
などと思う一方
それに比べてオラってば、これでプロって言っているのが恥ずかしいよぅ。
別にオラがこれを書かなくても、時間さえあれば、彼にでも十分書けるし
いや、そのうえ、オラよりさらにイイ文章書けるに違いない。
結局、もともとの能力やレベルが違いすぎるんだなぁ。
などなど、どんどん自己嫌悪に……
だが
ここでふと思ったのだが
それでも私がこの仕事に携わっていられるのは何故か?
よくよく考えてみたら、オラ、編集者Sさんには
「けっこう優秀なほうですよ。もっと、自信を持ったほういいですよ」
と、言われたこともある。
ちなみに、Sさんいわく
「え、なんでこの人がライターやってるの?」
って、頭を抱えたくなってしまうような人が
堂々とライターとして仕事をしているってケースもあるらしい。
世の中には、文章書かせても天下一品という、先にあげた有能な彼のような人や
素人でも、プロ顔負けの文才のある人がいるのはたしかだ。
しかし、どうしてそのような文才のある人が、では、物書き稼業に携わっていないかというと、ほかにやりたい、もしくは、やらなければならない仕事なんかがあるからだろう。
つまり、本人の「思い」(意志)だ。
それじゃ、「思い」があって文才があればやっていけるか?
というと、現状をうかがってみるかぎり、そういうわけでもなさそうだ。
じゃ、いったい何?
って、考えたとき
成り行きというか、ご縁というか、運というか、一言で言えば、それってやっぱ運命なんじゃないかと…。
なんか、そう思ったら、自己嫌悪に陥ることもないような気になったのである。
彼が文章うまかろうが何だろうが、オラの運命には関係ないことなんじゃないかと。
自己嫌悪で落ち込む時間があったら、この運命をよりよいものにするにはどうするか! を考える場合じゃないのか? と。
で
さしあたって
オラと同じ仕事をしている人はたくさんいるのだから
そういう人たちのなかでよりよい運命を歩んでいくためにはどうするか?
を考えたほうがいいように思ったのだが
ここで、はたと思い出したのが、以前に読んだ本である
- 微差力/斎藤 一人
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いまいちど読み返そうと思った