12月初めの義実家片づけ
66歳&63歳になる夫兄弟が大学生のころに、亡くなった義父
2014年、おおよそ10年前に亡くなった義母
 
義母が亡くなったからといって
私ですら手をつけられなかったあれやこれやを
一体どうするんだろう?と様子を伺っていました。
 
キッチン周りは多少、義兄のオリジナルな感じが出てきていたものの
天袋や食器棚下も上も、何も手つかずのままの10年間。
もう、よかろう…と私から口火を切りました。
 
夫経由で義兄に伝えようとしても
夫の段階で、うるさがったり…
そのうちね~と言うだろうというのが目に見えていたので
義兄に直接、でも夫もリアルタイムで知るように
3人LINEに流しました。
 
あくまでも、やるんだったら手伝いますよぉ~的に言ったつもりでしたが
後日、親戚になんでやりだしたの?的なことを聞かれた時
「まるちゃんがやれって言うから…」と答えていたので、苦笑い。
でも、これ。想定内と言うか…
それでいいだろうと思うのです。
 
私と言う他人が、容赦なくやることによって
兄弟が引きずられ、やりたくない片づけをやらされるという体を作ってあげること
これこそが、鬼嫁の役目なのではないかなと。
 
やりたくないには2種類あって
単純に、あの量の片づけなんて誰もやりたくありません(笑)
そして、父&母の片づけをするなんてメンタル的にやりたくないでしょう。
 
私はまだ、すぐ上の代の人間が亡くなった経験がありません。
あーばぁちゃん、元気に施設で過ごしてくれてますもん。
*父親は小学生の時に離婚していなくなった。
 
でも、ばーちゃんが亡くなった時
亡くなる前、あーばぁちゃんの次兄宅 → 長兄宅 →施設とたどった時に
次兄宅での片づけをした経験があります。
気持ちが落ちるかな~とも思いつつも
やらねば終わらぬ現実だけを見つめて、サッサと終わらせました。
あの時は、ばーちゃんの部屋だけで良かったので
今思えば、全く簡単でした。
 
でも、その後
遺品整理ではないにせよ。あーばぁちゃんの度重なる引っ越し作業を
ひとりでこなして来た身としては
このまま義兄が何もせずに、70歳過ぎくらいにアクシデントでも起きた日にゃぁ(笑)
この場合は、亡くなるという意味ではなく
骨折とか、病気とかになって
動きやすい1階の部屋にて生活がおさまるようにしたい!となった時に
義母のものがわんさか、義父のものもちょいちょいある状況では
どうにもならん…と思ったわけでありました。
 
おそらく義兄も、いつかやらねばと思っていたのでしょう。
すんなり、私の提案に乗ってくれました。
外部には、「まるちゃんがやれって言うから…」と言ったとしても(笑)
 
年内は4回を目指していたものの
結局2回実施と言う結果。
でも、2回目義母の部屋を片付けている時に
結構、お宝(身内にとっての…)が出てきたんですよぉ~
間違っても、鑑定団に出せるようなものは出てこないので、気が楽ですが(笑)
 
…というのも
義おじ(義母兄)の「学童手帳」なるものが出てきまして…
ひとしきり盛り上がりました。
 
 
義母兄:大正13年生まれ
義母:昭和4年生まれ
5歳ほど違うわけですが
義母のものは、白い厚紙タイプ

義母兄の学童手帳は、黒背表紙で和紙っぽい用紙

教育勅語なるものから始まって
身体検査結果や
尋常小学校6年分、高等2年分の成績が書かれていました。
 
 
ちょうどその日は、義父の命日だったこともあり
親戚の方が来てくださる方も多く
息子さんに無事お返しできたのは良かったのですが
義母兄や、義母が元気なうちにこれを発掘し
昔のことをあれこれ聞いてみたかったなぁ~というのが本音です。
 
おしゃべり好きな兄妹で
寄るとさわると喧嘩もしいしい、お茶を飲みながらおしゃべりをしていました。
私も行くと2~3時間は付き合うことになり
あちゃぁ~と思いつつも、楽しい時間を過ごしていました。
 
義母兄は、自他ともに認めるなかなかの遊び人と聞いていましたが

子ども時代の成績表は、なかなかのものでした。

 

表紙だけでも、写真撮らせてもらえばよかったなぁ。
この年代の方は、まだまだお元気な方も多くいらっしゃるので
ぜひとも、ご家族の方は一緒に思い出話を咲かせていただいては
どうでしょうか。
 

 

 

毎日が感謝。ありがとうございます。

 

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