作品集を出版して
若いころから小説を書きたいという願望をずっと持っていましたが、なかなかそれを形にすることができませんでした。自己流で詩のようなものを書いて手作りの本を二、三冊こしらえたのは二十代から三十代にかけてだったと思います。
もっぱら仕事のかたわら私は絵を描いていました。それは中学、高校と美術部で熱心に活動していた名残りみたいなものです。どこへ行くにもスケッチブックを離さない時期は長く続きました。
しかし書きたいという欲求は心に眠っていたらしく、昔のスケッチブックをめくると、セピア色になった絵の裏に小説の筋書きみたいなものが走り書きされていて、それが青春の痕跡みたいに残っています。
そんな私がいっさいの画作から遠ざかり小説や童話を一気に書き始めたのは五十四歳のときです。それにはきっかけがありました。三十三年ものあいだ生死が不明だった父と再会し、長きにわたって横浜の施設を訪ねていましたが、その父が亡くなったのです。
父の生涯は幸せの積み木を自ら崩して孤独に生きてしまった男そのものでした。「北海道に帰って来たいかい」と私が聞くと、「夢のまた夢だ。時の流れには勝てないな」と父は遠くを見つめて言っていたものです。
父の遺言どおり遺体が横浜大学に献体されて研究材料となり一年後に私のもとに遺骨として帰ってきました。そのとき私は「一日だけの長い旅」という父に関する小説を書き上げたのです。
それからは溢れてくるストーリーを書きまくりました。そうして二十年がまたたくまに過ぎ去り二〇〇作ほどの小説や童話、エッセイが完成しました。今回は一つの節目として三七〇ページ前後の本にぎっしりと作品をつめこみ、三年かけて八冊を出す予定です。
作品集の最初には登別と室蘭を舞台にした長編作品が収められています。それ以外は小樽、札幌、東京、広島など、広範囲に舞台は広がります。どこに出しても恥ずかしくない作品にするために練り直し、磨き上げ、数えきれないほど推敲と校正を重ねて形にしました。それは私が生きた証の一つになることでしょう。地方都市に生まれ育った私が人知れず運ばれた種として北国の路傍に落ち、そこで小さな花を咲かせたと思っていただけたら本望です。