エッセイ

これでよし

 

                                                      高岡啓次郎

 

 いつもなじみにしていたガソリンスタンドが閉じた。感じのいい女の子たちが何人か勤めていて、よく訓練された応対が気持ちいい。ガソリンを入れ終わると必ず、ある方向を指差して「ロッポッキ、トッポッキろ」と言う。ぬかりなく仕事をしたかを確かめる掛け声のようだそういえば浅田次郎の小説を映画にした『ぼっぽや』で、高倉健演じる老駅長が汽車が出るときにあちこちを指差してチェックしていた映像を思い出す。

 女の子がロッポッキーと言っていたのはロックオーケーという意味なのはわかった。給油口を指差していたから、きちんとフタを閉めたかチェックしているのだろう。しかしトッポッキはわからない。韓国のおもちに似た食べ物の名前をとなえているはずはないし、何の略なのだろう。トップオーケーなのか。ならばトップとは何ぞやとなり、疑問は深みにはまる。そのうち尋ねてみたいと思っていたのに閉めてしまったから答えは見つからないままとなった

 話はそれだけでない何かをしたあとに、これでよしとチェックする習慣は大切だ子どもは全員バスから降りたかをチェックしていたら悲劇は起きなかったのだからある芸能人が手術を受けた後に小さな針が体に残っていたという話を数日前インスタに書いていたガーゼを取り忘れたとか、ひどいのは手術ハサミを入れたまま閉じてしまったこともあるというからあきれる。
 それで、そそっかしさにおいては自信があるぼくも、これではいけないとスタンドの女の子に見習うことにした。何年かぶりで娘がいるオーストラリアに十三日の日程で行くときもチェックを綿密にした。戸締まり。鉢植えの水対策。ゴミ出し(これらはほとんど妻がやるのだが)ぼくは自分なりにいろんなチェックをした。仕事関係の連絡はぬかれない。

 最後に番組をチェックしてあらゆるお気に入り放送を録画予約した。どういうわけか見たい映画やドキュメンタリーが幾つもあり、連ドラも面白くてハマっていたものが三本くらいあったから十三日分といえばかなりの量だった。それを抜かりなくやったときは、これでよしと自分をほめた。
 最後にもういちど戸締まりを確かめ、家を出るときにムダなコンセントを抜いて行こうという話になった。
「わずかでも電気代の節約になるし、火事対策にもなるんだ。雷や何かで停電したあとにいきなり電気が通ったときは火事になることがあるからね」
「さすが電気科卒ね」
「いっそのこと、ブレーカーを落としていこう。いちいちコンセントを抜くよりいい」
「そうね」
「あ、でもダメだろう。冷蔵庫の中のものが全部だめになるよ」
「空にしたから大丈夫よ」
「おう、そうか。さすがだな。やるじゃないか」
 お互いに褒め合ってから早回しのビデオみたいに動きまわり出発の用意はととのった。
「これでよし」
 ぼくは満足げにほくそえんで二人はゆうゆうとオーストラリアへ旅立ったのである。
 あわただしく異国の地での楽しい日程をこなし、はしゃぎすぎたせいか最後は疲れきって日本に戻ってきた。帰宅してからの楽しみは日本のラーメンを食べることと録画した映画や連ドラを見ることだった。
 こうして誰もいない家に「ただいま」と言って帰って来たのだが、ブレーカーを落としてしまったら録画されているはずがないのを思いつかなかった。
 さすが電気科卒!
 多くの時間をテレビでつぶさず何かを書くか仕事をしろということか。
 これでよし!

海の歌

              高岡啓次郎

 

海は存在そのものであり自在に成るものに成る

海は涙である

海は苦闘の汗である

海は血である

我々は海を所有し、同時にその一部となる

雨となって大地を潤し 全生命の老廃物を吸収し 

腐敗や汚濁をも呑み込んで巨大なスープとなる

人はその滋養を味わい その中で泳ぎまわり 永遠に漂う魂である

清濁も善悪も光陰も愛憎もあるがままに

光と酸素に満ちた浅瀬の煌めきを

暗い深淵にひそむ淀みを

ときに疲れて横たわり波にたゆたい

再び怒涛の中でもがき苦しむ

 

エッセイ
面接  

 


高岡啓次郎

 

 

 書類審査や筆記試験を通っても、やはり最後の関門は面接試験だろう。高成績の人が落とされ、ギリギリの成績でも好印象を与えて採用されることはよくある。それは人物を売り込むプレゼンテーションに成功したということになる。

 面接に通るためのノウハウが書かれた本は売れるし、そういったサイトもたくさんある。そこでは面接で必ず聞かれる五つの質問なんかが出ていて、それを事前に準備していくよう助けてくれる。どの職業に就くかはその人の運命を左右するという点では異論をはさむ人は少ないだろう。住む場所も変わるし、接する人が変わる。当然ながら結婚相手も変わりえるし、その人の健康や寿命にまで影響が及ぶと言っても大げさではないだろう。ある土地に移ったせいで災害にまきこまれて亡くなることもあるし、労働にまつわる事故から一生にわたって重荷を背負うはめになったりもする。

 人間万事塞翁が馬という故事はあらゆる人に当てはまる普遍的な原則みたいなもので、面接に失敗したからといって、それが不幸とはかぎらない。むしろ前より好条件の会社に入れることもあるし、素晴らしい出会いがあったりするから悲観し過ぎることはないだろう。今日は面接に関わる何人かのエピソードを書こうと思う。

 北海道の厚真町で米農家をしているHさんはもともとは九州の人だが北海道に憧れて北大の農学部に入り、そこでびっしり四年間学び、いよいよ就職試験を受けるときが来た。希望した会社は東京にある農業関係の出版社で、一次二次三次試験を通過し、いよいよ面接のときがきた。ひととおり質問されたが、最後に読書傾向を聞かれたという。

「趣味の一つに読書とありますが、あなたはどんな本が好きですか」

 そのときHさんは北海道開拓の草分けだった坂本直行の本を読みあさっていたのだが、影響を受けた本は他にもあって、そのときは頭でどう答えるべきか迷った。少し考えてからゲーテの『ウィルヘルムマイスター』の名前をあげたのだった。確かにその本からも精神的な影響を受けたのは間違いないからだった。ところが残念ながら不採用になってしまった。

 別の道に進まざるをえなくなったHさんは、結果として北海道で農業の道を選んだわけだが、後日こんなことを知ったという。三人いた面接官の中心的な人は、なんと坂本直行に心酔していた人だったというのだ。それは彼が米作りや山里の保全に関するレポートを書いてその出版社に送り、何度も掲載されるようになってから小耳にはさんだわけだが、その出版社が開いたセミナーに参加したときに面接官だった本人から確かめたというから間違いないだろう。

 この話を私にしてくれたとき、Hさんは八十歳を超えており、最近は長かった人生を振り返って感慨にふけることが多くなったようだ。

「あの面接のときに愛読している本を聞かれ、ぼくが坂本直行の本に感銘を受けていると答えたら、おそらくは採用されていたような気がするんです。そうしたらまったく違う人生になっていたと思うんです」

 まったくそのとおりだろうと聞いていた私は思った。優秀で人格的にも申し分がないHさんと同列の評価の人がかりに何人かいたとして、もし彼がそのとき愛用書としてゲーテの本ではなく坂本直行の名前を出していたら、面接官からの評価のバランスは違う傾きを見せた可能性は大いにあると思うのである。そうなれば彼は北海道で結婚して農業に従事することはなく東京で出版社勤めとなって今とはまったく違う人生を歩んでいたことになる。おそらく別の人と家庭を持ち、子どもも違っていて、今あるほとんどすべての人間関係は別なものになっていただろう。どちらがよかったかは誰も分からない。ただ間違いないことは、彼がこの地にいてくれたおかげで私は素晴らしい友人を持てたわけで、そう感じている人は他にもたくさんいると断言できるのである。

 

続く

うわさ


 現代ほどうわさが暴走している時代はない。悪いうわさをSNSで拡散されると、いともたやすく企業はつぶされ、個人は死においやられる。怖い時代になったものだ。うわさは集団いじめにつながり、冤罪を生み出し、差別を誘発してきたが、人間がもつうわさ好きという性質はいつの時代も権力者や企業の宣伝に利用されてきた。あらゆる機関や組織から発せられるコマーシャルは、心理学の先端をいく手法で人々を煽りたて、購買意欲を刺激してきた。気がついたらあらゆる物に囲まれている。本来ならなくてもいいものがたくさんあるはずだが、持ってしまうとそれに依存して、なくてはならない物と錯覚してしまう。CO2を減らそうとしても、大量のエネルギーを消費してしまう生活に乗せられてしまった。
 女性はうわさが好きらしい。旦那の話やら子どもの話やら、彼氏の話やら、職場の上司のこき下ろしやら、話題は尽きなくあり、半日でも一日中ても話していられるというから驚く。私はそんなことありませんよという声がいま聴こえてきた。男だって変わらない人は幾らでもいる。人のうわさの輪には入らない人も、週刊誌の愛読書なら、たぶんあなたはうわさ好きの部類に入るかもしれない。いやいや、私は紀行文や連載小説だけをよんでいるという方はごめんなさい。
 世間体を気にする人は多い。すべての人は程度の差はあっても気にはなるものだ。それはうわさの怖さを知っているからに他ならない。しかし何かでうわさされてもあまり気にせず、普通にしているのがいいだろう。人のうわさも七十五日ということわざはまんざら嘘ではない。ひとつの季節が過ぎ去るころは普通に戻っていることが多いのだ。同じ努力をひたむきに続けている人にはうわさは大きな敵とはならないことを覚えておきたい。
 ぼくも最近あらぬうわさを流された。一回もデートしたこともない異性と付き合っていると言われたのだ。思わず笑ってしまったが、いい歳になってそういううわさが出るのは悪くない気もする。ましてうわさされた相手の女性は孫みたいに若いからなおさらだ。うわさけっこう。大いに広めてくれと思ったくらいだ。
 さあ、自分はまだまだ若いという気になれたからには、もっといい小説を書くぞと自らを鼓舞し、言い聞かせる。そうだ。あしたコメダコーヒーかスタバに行こう。しばらく座っていれば周囲からうわさ話が聞こえるのだ。それを拝借して面白いものを書いてやろう。

 

カフェ


 おしゃれな街の条件は何かと聞かれたら、それはカフェ文化が進んでいる街だと言う人は少なくないと思う。よく整備された公園やその街全体のロケーションと密接に関係しているとぼくは思うのだ。誰もが立ち止まり、座ってひと息つきながら窓辺からの景色を眺めたり、語らったりできる空間はありたい存在だろう。道々にこうばしい香りが漂い、そこに焼きたてのパンの匂いが混じっていたら、何だか幸せな気分になる人もいると思うのだ。
 カフェでいちど味わってみたいものがある。それはコピ・ルアクだ。東京で飲んだという友人に聞いたところ、あんな旨いコーヒーは初めてで、頭がさえて、ずっと悩んでいたキャッチコピーができたのだと喜んでいた。彼は商品開発部にいて、売り出す言葉をずっと考えていたらしい。私もぜひいただきたいという声が聞こえたが、前もって言っておく。これは猫の糞から作っている。知らない方がよかっただろうか。これを読んでから飲むのは勇気がいるかもしれない。ジャコウネコにコーヒー豆を食べさせ、未消化で出てきた豆だけを使うわけだが、最初の人はよほどの変わり者に違いない。
 カフェで作品の構想を練るのがぼくの願いのひとつで、仕事を引退したらそんなささやかな贅沢をしてみたいものだ。人の話し声がかすかに聞こえ、センスのいい音楽が静かに流れていて、窓外には街路樹があって、行き交う人や車が見える。ときどきコーヒーを口に運び、浮かんだイメージを文章にしていく。二時間くらいいて、気のきいたエッセイのひとつも書けたら幸せだろう。小説なら印象的な場面がほんのりと浮かべばいい。突破口さえ見つければ筆は進むものだ。
 カフェは出会いの場所であり、別れを告げる場所でもある。商談がまとまることもあれば、虚しく終わることもある。観察しているとドラマを感じとることがある、あるとき幼い子どもが二人の老人に連れられて席に着いた。小さな男の子はどこか寂しそうだ。お爺さんの方がしきりに自分の指を見て、苦い顔をしていた。
そのとき店の女の子が近づいて言った。
どうかなさいましたか?
ちょっと指にトゲが刺さってしまって取れないのです
ちょっとお待ち下さいね
 店の女の子は奥に入ってすぐ出てきた。老人に近づいて指にピンセットを当てているではないか。
さあ、とれました。もう大丈夫です
 老夫婦は何度も礼を言った。そのとき男の子がはいた言葉に横のテーブルで会話を聞いていたぼくは胸が熱くなってしまった。
こんなお母さんがいたらいいのにね
 切ないではないか。

 

待合室

 ひとりは激しく泣いていた。二十代のほっそりした女性である。男の方はひと回りほど歳上に見える。こちらは眉をしかめ、さも困ったふうに女を見ていた。二人は階段を上がった。ホームにはすでに電車は来ていた。ぼくはその男性のあとから飛び乗った。ドアが閉まる。ガラス越しに交わされる視線は、もうこの二人は二度と会うことはないかのような悲壮感があった。
 これはつい先月に札幌駅の待合室とプラットホームで見た光景である。ぼくはすぐに、あの二人は別れたなと思った。それが当たっているかどうかは分からない。待合室とは、ある目的のためにしばらく待っている場所をさす。病院が一番なじみだろう。駅や空港、フェリーターミナルなどにそうした人々のための空間がある。人間を観察するには面白い場所かもしれない。
 ぼくは五年ほど前に無口な女という小説を書いた。そのヒントは歯科の待合室である。受付にいた人はもうそれほど若くはない年齢だった。笑うことをすっかり忘れているかのように無愛想な女性で、その無表情とだんまりは二年近く通っても変わらなかった。こちらが挨拶しても返事がない。今日はすごい雨で、と話をふっても静かにうなずくだけ。用件だけは間違いなく言えるから頭の悪い人ではなさそうだ。そこで空想力を働かせて小説を書いた。たくさん読んだ中でも、無口な女が一番よかったと言ってくれる友人もいて、少し嬉しかった。
 待合室はお互いがある程度の時間を共有するから出会うチャンスに恵まれる。久しぶりに誰かを見るのもこの場所ならではだ。だから会いたくない人にも出くわす可能性が高まる。ぼくが知っているその人は少しうつ病のけがあり人と会うのを怖がる。それでわざわざ帽子をかぶり、サングラスをかけて病院に行くらしい。会いたくない人がたくさんいるからだろう。彼女が病気を克服して、普通に待合室に入れる日が来ることを祈りたい。
 ぼくが知っている別の人は前日に十一年の結婚にピリオドを打ってきたときの失敗について話してくれた。新幹線の待合ロビーで立ち食い蕎麦を食べていた。アナウンスに驚いて食べ残したまま走った。ところがまだ時間があると分かり、慌てて戻って、片付けられていなかった蕎麦の続きを食べたというのだ。そんな下品なことは生まれて初めてだったという。このあと荷物を持って電車に乗り込もうとしたとき間違えて隣で食べていた人の荷物をつかんで歩き出した。
 ちょっと、それ、私のです、という叫びで平謝りしたらしい。離婚の動揺がさまざまな形で現れたエピソードといえよう。自分も次に待合室に行くときはくれぐれも気をつけようと思っている

ぼくは電話で話すよりメールを好むが、その理由のひとつは聞き違いのリスクを避けるためだ。ずっと以前だが、こんなことがあった。
「一時半にデンコー堂の駐車場にいますから」
「わかった。これから行く」
 そうやって出かけたのに大工さんは現れない。一緒にお客様の所に行かねばならない。それで再び電話を入れた。
「どうしたの? 待ってるんだけど」
「俺もさっきから待ってるよ。どこだ?」
「えー、そっちこそどこにいるの」
「善光堂に来てるよ」
「あらあら、それは仏壇屋さんだよね。ぼくが言ったのは電器店のデンコー堂なんだよ」

「あれあれ、間違ったな。すぐ行く」
 こんなお笑いみたいなやりとりは今でもときどきある。歳をとると、ますます増えるのではないかと思う。しかし笑ってすませられない失敗もあるから注意したい。聞き違いで歴史が変わった例は意外と少なくないのだ。昭和の宰相であった原敬(はら たかし)が東京駅で暗殺されたのも聞き違いからだというのは有名な話だ。日頃から財閥中心の政治に不満をつのらせていた若い国鉄職員は上司との雑談で、「今の時代は本気で腹を切る勇気のあるやつはいない」と言われたとき、
「私が原を切ってみせます」と言って実行してしまったのである。正義感に燃えた若者は上司が武士道について語ったとき、腹を原と聞き違えたというのだ。彼は無期懲役の刑に処せられた。
 聞き違いが歴史を悪い方向にばかり動かすとは限らない。一九八九年十一月九日といえば、二十八年間続いていたベルリンの壁が崩壊した日として有名だが、旅行や国外移住の規制緩和を東ドイツ政府が発表したとき、報道を聞いていた国民は西ベルリンへいつでも自由に行けると拡大解釈した。壁の前に殺到した数万の群衆を抑えられずに、とうとう国境の門を解放してしまったのだった。あいまいな表現が自由を切望していた東ドイツ国民には砂漠で得た一滴の水に反応するように集団で聞き違いをし、まもなく分裂していたドイツは統一されたのだった。政府側からしたら大変なヒューマンエラーとなったわけだが、分裂していた東西ドイツが再びひとつになれたことを考えると、表現の解釈によって予想外の展開になることは面白いではないか。 
 お堅い歴史の話から再び笑える話題に戻るが、性格が天然な人ほど聞き間違いは多いのかもしれない。これは娘のことだが、テレビで「汚職事件」のことが報道されるたびに「お食事券」だと中学生のころまでずっと思っていたという。そういえば自分も似たようなことはあった。ラジオの気象情報で「天気が荒れるので洗濯はご注意ください」と聞こえていたのは「船舶はご注意下さい」だと知ったのはやはり大きくなってからだった。「ひなびた温泉」が「しなびた温泉」と思っていたのは娘だけではないと思う。
 聞き違いのために頼んでいない食べ物や品物が届いたり、待ち合わせ時間を間違えたり、ときにはタクシーがとんでもない場所に連れて行くこともある。松山で腰を痛めて病院に行きブロック注射を打ったあとのこと。
「ホテルルナパークまでお願いします」
「はい、承知しました」
 品のいい白髪あたまの運転手はよどみなく車を出した。
 まもなく「はい、着きました」と言われたが、景色も建物もまるで違っていた。
「あら? ここはどこですか」
「ホテルルナパルクです」
「はあ? ぼくが言ったのはホテルルナパークですよ」
「それは失礼しました」
 老齢の運転手は聞き違いを詫びてすぐにルナパークに連れて行ってくれたからよかったが、急いでいたら困ったことになっただろう。注文されたメニューや品物は必ず繰り返して確認するのが当たり前だが、この簡単な反復を怠ったときに失敗は起きる。
 こうしたエピソードはおそらく数えきれないほど散らばっていると思うのだが、聞き違いによって男女が予期していなかった場所で知り合い、結婚して生涯をともにするなどということもあるのではないだろうか。それが幸福な結婚であったならいいが、不幸のどん底に突き落とされることもあるから運命は分からない。世の中に多様な神さまがいるとすれば、とびっきりいたずら好きな神さまもいるに違いないから、芸術や文学の素材は尽きることがないのである。
 
 
 

エッセイ

馬を飼う女   

 

高岡啓次郎

 

松本清張の小説に『馬を売る女』というのがあった。社長が馬主と交わしていた競馬情報を盗聴して金儲けにふける秘書の話だ。どうもおかしいと気付いた社長は有能な部下に調査を依頼する。やがて金をごっそり貯めた社長秘書に女が近づいて誘惑し、金を貢がせるストーリーは面白い。頭はいいのだが容姿に恵まれず男性にもてない女の悲しい性も共感を呼ぶ小説だが、私が今日ここに書くのは金とも色気とも縁がない老婆の話だ。

街中にある小公園で冬の昼下がりに出会った夫人は八十歳前後と思われる。十二月の初旬で、道路のあちこちに氷がへばりついていた。古いビルのタイルや壁の改修作業にいそしんでいた私は外仕事で冷えた体を車のヒーターで暖めながら昼食をとっていた。空は晴れているが気温はマイナス五度と車についているプレートに表示されている。晴れた冬の日に起きる放射冷却が冷え込みを厳しくしていたのだろう。

弁当のふたを開けて冷えたご飯を三分の一ほど食べたころ、ふと外に目をやると、老婆が公園の凍てついた枯芝に身をかがめて、まるでイスラム教徒が地面にひれふすような姿勢でかがみ込んでいるのが見えた。冬用の分厚いレザーの上下を来て頭からフードをかぶっており、口にはコロナ予防と思われるマスクをつけていた。

背中には大きなリュックがあり、地面に顔をこすらんばかりにつっぷしていたが、すぐ横には、これまた大きな紙袋を二つ持っていた。最近は現金をごっそり紙袋につめてホームレス生活をしている人もいるらしい。ショッピングバッグレディというそうだが、この人はどうだろうか。服装は汚れていないようだが。

いったい何をしているのだろうと思った私はカーラジオのボリュームを絞り、フロントサイドの窓を開けた。今にも泣き声が聞こえてきそうに思ったからだが、老婆はいつまでも伏したままでいて、泣いている気配はあるのだが声は聞こえてこなかった。

いったいどうしたのだろうと、私は未知の老婦人に起きていることを思い巡らした。この人は、どんな理由があってこんな寒空の下で地面にひれ伏しているのだろう。苫小牧市内にまれにいるイスラム教徒だろうか。あの大きな荷物は何だろう。家出でもしてきたのだろうか。誰かにいじめられて、たった一人で泣き崩れているのだろうか。あるいは昆虫学者ファーブルがしていたように虫でも観察しているというのか。
 さっぱり分からない。興味をひかれた私は車をさらに近づけてみた。静かに、気付かれないように、野生動物にそっと近寄るのと似た感じて移動した。老婆は相変わらず地面に顔をつける姿勢でいたが、まもなく顔を上げた。ふっくらと太った丸顔の人で、遠目にも健康そうに見えた。意外に思ったのは、なんと右手に大きなスマホを持っている。たぶん目が悪いのだろう。それを十センチくらいに近づけて画面をみながら誰かと話している。
「なーんだ。泣いていたんじゃなかったのか」

苦笑いしながら私はひとりごとを言った。老婆が冬の公園で泣き崩れているのではなかったことに安堵していたのは間違いない。少し前まで二つの影像が脳裏をかすめていた。泣いていた母の姿と、姉の面影である。母に関してはひどく泣き崩れていた記憶が少なくとも二回ある。それは私がまだ子どもの頃で、何気なく通った奥の部屋で母が布団に顔をうずめて号泣していた影像が最も古い。理由は分からない。しかし、そのときの姿勢がまさに目の前で見た老婆と似たようなかっこうで腰と背中を丸めて突っ伏していたのである。

大人になってから何となく理由を察知できた。父が女を作って家を飛び出していったころであり、そのことで長女から、父さんが出て行ったのは母さんのせいだと責められていたことが何回もあったと聞いたからだ。そういえば居間には姉がいた。現在七十を超えている私からすれば遠い遠い過去の記憶である。そのときの母は四十代後半くらいだろう。だが、幼い私からしたら、疲れ果てるまで働きずくめだった母は老婆に見えた。

母が泣き崩れていたもうひとつの場面はそう遠くない過去だ。亡くなる数年前だから十五年ほど前だろうか。今は亡き兄と暮らしていた母は何度もいじめられていて、たまたま私が訪問したときも兄から何かを責められている最中だった。間に入って話を聞いたわけだが、感情を取り乱した母をなだめることはできず、何かを言っても、違う違うの一点張りで、身を震わせて叫ぶように泣いていたのだった。

 私は誰かが流す涙というものにはなはだしく弱い。泣かれたら簡単に詐欺にもひっかかってしまうかもしれない。だから母であれ、兄であれ、どんな場合でも号泣していた誰かの記憶ほど心を痛めるものはないのである。自分が泣き虫だったせいか、人の涙には少々敏感すぎるといえなくもない。世の中には嘘泣きがいくらでもあり、オレオレ詐欺なんかは全部がそうした手法の上に成り立っているわけだが、見分けるのはなかなか難しい。

 公園に突っ伏した老婆を見たときによぎった想いは母だけでなく現在の姉のこともあった。ちょうど同じくらいの年齢である。小樽で独り暮らしをしている姉はどうしているだろう。八十を過ぎてもなお仕事をしていると聞く。車を運転して弁当を届ける仕事だというが、少ない年金をおぎなうために働いているのは間違いないと思われ、それを考えるたびに心が痛むのだった。

 とにかく公園の老婆は泣いていたのではなかった。どうやら荷物が多いせいかスマホを地面において顔をぴったり近づけて誰かと話していたのだと分かった。それでも私の好奇心はまだ去ることはなく様子を見ていた。やがて立ち上がり、道路を横切ろうとしたのだが、どこか落ち着かない感じで、キョロキョロと周囲を見回して、道路を渡ったあとも様子が普通でない気がした。

その人は、とぼとぼとこちらの方向に歩いてきた。距離が五メートルほどに近づいたとき私は声をかけないでいられなかった。老婆ではあるが、私の年齢でおばあさんと話しかけるのはやはり失礼だろう。
「おばさん、どうかされましたか。何かを探しているのではないですか?」
 すると、話しかけられた当人は歩道から車道を渡り、私が開けた窓のそばに来て言ったのだった。
「私は馬を飼う仕事をしていたの」

私はうなずいて耳を傾けた。そうしたら話が止まらなくなり、とりとめもない話題が次から次と出てきた。老婆が立っているのは車道である。交通量は少ないとはいえ、長話はよろしくない。話の合間に再び口をついて出てくる。

「私は馬を飼う仕事をしていたの」

 私がキョトンとしているのにはおかまいなく話は続く。

今日は自分を選んでくれてありがとうと電話をしていたの。こんな私でいいのかしらと言ったわ」

どうも意味不明だったから私は少しさぐりを入れた。
「おばさん、気をつけた方がいいですよ。その人は知ってる人ですか?」
「いや、知らない人。でも私を選んでくれたの。馬を飼っていたことがあるから」

「そうなら、危ないのと違いますか。何かに選ばれたなんて、油断してはいけませんよ。昨今はいろんな詐欺が横行していますからね」

その話をふると、老婆はさらににじり寄って来てこう言った。
「本当に変な世の中だよね。こないだ帰宅したら、たくさん郵便物が来ていて、ポストからかかえて家に入ったの。そして郵便物を部屋で見ていたら誰かが入ってきて封筒を二つ持って行ったのよ」

「えー、マジですか」

ええ、私は家の鍵を持っていかれなかったかすごく心配になってすぐバッグを見たの。あったからほっとした。鍵束には幾つもの鍵がついていたから、きっとはずす時間がなかったんだと思う。でも私はいやだから部屋の合鍵を作ったの。何でも高くなったわね。二万円もしたんだから」

えー、そんなに?」

 普通は千円くらいでできるのではと思ったが、老婆はいちおう筋道が通ったことを言った。
「そうだよ。高い鍵にしたら、簡単に写しをとれないからね。東京の方はみんなそうするらしいわ」

なるほど、そう言われたら分からないでもない。
「それにしても物騒な話ですね。今は留守に入る空き巣でなく、家にいても泥棒は入ってくるといいますからね」
「私が玄関の鍵をうっかりかけ忘れたからね」
「それにしても誰でしょう、そんな大胆なやつは」
「隣の人さ。二階の人と仲良しで、よく二人でつるんでるわ。仲間だね、きっと」
「なんてことです」

まさか、という言葉を呑み込んだが、車道に立ったまま老婆は話をやめようとしなかったから私ははらはらしてきた。幸いにもビジネス街とはいえ、あまり利用されそうもない裏ぶれた公園は金曜日の午後なのに人通りはなかった。しかし私は会話を切り上げたくて、再び小樽の姉を想いに重ねながら、人に騙されないように。体に気をつけるようにと言った。老婆は何度も頭を下げて帰りかけたが、最後にまたふり向いて、私は馬を飼う仕事をしていたの」つぶやいて去っていった。そのあとも老婆が視界から見えなくなるまで見ていたが、道が悪いのに足取りはしっかりしていて、まだ十年やそこらは元気でいそうな姿だった。私は何がなんだか訳の分からない会話だと思ったが、この老婆が数日後にどこかで死体で発見されるのではないかと、妙なことを思い巡らしていた。

                  完
 

霜山熱志は名前のことでよくからかわれた。おまえは冷たいのか熱いのか分からない名前だな。はっきりしろ。同級生ではなく、からかうのは教師たちだった。そんな彼がお盆休みに釣りに行く。雑魚しかかからず、夏の炎熱にさらされて眠ってしまう。そのとき横から声がした。ひいてますよ。慌てて目を開けると竿の先端が激しくゆれている。急いで引き上げようとしたとき、そんなに急いら逃げられますよ。ゆっくり素早く引いてはゆるめ、また引いてはゆるめるのです。見ると横にいた老人は身振りで動きを教えてくれた。そして釣れたのは見たこともない大きなマツカワだった。そのあと雑談となり仕事を聞かれたので塗装屋をしてると言うと、ちょうどいい。うちのビルの階段を塗ってもらいたいと言われ引き受けた。夕方にさっそく隣町にある三王ビルを見に行くと、入る直前から夏の嵐となり激しい豪雨と雷の光で建物はつつまれた。中は雨がないので鉄階段の寸法を測り値段を出した。次の日も釣り場で会う約束をしたから朝早くに出かけると、同じ場所に昨日の老人が岩場に座っていた。見積もりを見せるとすぐに正式に仕事を依頼されたまでは普通だが、なんと前金だと言って渡されたのが見積もり金額より多い。実は地下にも階段がある。近々たまねぎ倉庫として借りたい人がいるから、それも塗ってほしいと言われる。さて工事を始めたがいつまでも終わらない。とりわけ地下の階段に難儀する。換気システムが壊れていて地下で塗料酔ってしまう長い空気ホースをくわえて熱志は仕事をした。ひと月がすぎ、あんたいつまでやっているのと母親に聞かれるが、日付の感覚がないくらい疲れが溜まっていた。おまけに悪いうわさを聞いてしまう。そのビルで20年前に火事があり、逃げ遅れた人がたくさん死んだ。責任を追求されたオーナーは屋上から飛び降り自殺したというから熱志は怖くなってくる。そもそももらった名刺に電話しても現在は使われていませんときた。お盆のときは釣りには行くなと母親に言われたのを無視したせいで変な世界に自分は引き込まれてしまったのかと考える。依頼した老人死人なのか。足ががたがた震えてくる。四角かったはずの階段がいつのまにか螺旋階段になっている。空気が薄い。足がもつれて彼は落下する。どこまでも落ちていく感覚だ。遠のく意識。俺はいったいどうなるんだ  
 熱い夏にちょっと寒くなるお話。  

予感
premonition
予感、前兆、予知、胸騒ぎ、予覚、縁起、これがpremonitionの意味だとある。
 いい意味でも悪い意味でも予感を持つのは人間だけではない。動物たちは迫りくる危険に敏感だし、大地震が起きる前にいっせいに逃げ出す生き物もいる。その能力には個人差があって、ひときわ優れた人は預言者と呼ばれる。
 当初、このテーマを題名にしたとき、わりとどんどん書けるような気がした。しかし幾ら考えても話の糸口さえ見つからず、玉置浩二の恋の予感を歌ってみてもアイデアが浮かばないまま夜更けになってしまった。
 そうしたら久しぶりに悪夢を見た。夜中にすぐメモしておいたからほぼこの通りだ。
 ある、怪しげな宗教団体のイニシエーションを受けるという夢だ。呪いと麻薬を投与され、体の深部がワナワナと痙攣し出すのをこらえていた。そこに入る前。昔のクリスチャン仲間が驚いた顔でこちらを見つめ、まさかあの宗教の儀式を受けるつもりではないでしょうね? という視線がそそかれていた。ぼくは手を顔の前でふり、いやいや、そんなことはしないと目顔で言っていた。しかし実際はこの儀式を断ったら殺される気がして怖かったのだ。ぼくは中に入ると二十人くらいがいて、一番最初に儀式に巻き込まれた。上半身裸のインド人みたいな男が呪文をとなえた。髪はレゲェを歌う人がするような蛇みたいなヘアースタイルだった。ぼくは体じゅうをさすられ、例の麻薬を投与されたのだった。すると周りが歪みだし、目の前の男の顔の穴から血が飛び出してきて、口が耳まで裂けて見えた。ぼくはこの部屋に来たことを後悔したが、時はすでに遅かった。
 気持ちの悪い目覚めだった。朝はやくにカーテンを開けてベッドのへりを腰掛けながら考えた。この夢は何の予兆なのだろうかと。結局はエッセイのアイデアが浮かばないまま翌日を迎えたわけだ。一日にひとつのエッセイを書く目標はずれてしまったが、それはまあいいとして、今日は夢に詳しい友人に相談しようかと思っている。蛇の夢をみたらお金が入ると亡き母は信じていた。ぼくの見た夢も吉を呼ぶ予感がするのだが。