今日は忘れられない日 | ab5fcのブログ

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被災証明書がある。東北大震災の時に被災地の一つ、青森県に住んでいたので発行された。この証明書は東北高速道路が無料となった。ところがそれに接続する高速道路会社には適用されず

 

首都高、横須賀横浜道路は所定の料金が取られた。仙台の用向きには便利で活用していたが、この被災証明を悪用したトラック運転手が居て、この権利は廃止となった。

 

今でも記憶を辿ると背筋が寒くなる。最近メディアで津波の様子は放送されなくなった。当時の報道は津波の恐ろしさを伝えたいために、被害の大きいところほど取り上げられていた。

 

たまたまこの日は帰郷していたので、青森県にはいなかった。震度4程度であったが、長い揺れを感じて、外出先から帰宅してテレビを見た。恐ろしい光景を見た。いつも利用している

 

 

コンビニが津波に流されている映像である。もし青森に帰っていたら遭遇する機会はゼロではなかった。青森に帰ったのは4月28日。青森空港便が再開されて、青い森鉄道で八戸に戻った。

 

海岸エリアには漁船が乗り上げ、漁港は全滅、魚の加工工場も津波により被害を受けていた。大学から調査依頼があり、被害の大きい岩手県の久慈市から宮城県の仙台、名取市まで、

 

状況を調査した。行政マンには笑いがない。被害の状況と国との対応に大忙しであった。この状況を書くと筆が止まらない。印象が最も強かった事を簡潔に書く。

 

津波の高さは信じられない高さ。宮古に近い漁港はリアス式海岸の中に作られた。船は全て流され、漁港の設備は使い物にならない。青森から千葉県までの漁港はほとんど被害

 

を受けた。津波の高さを見積もると、40メートルを超える。この見積もりは漁具のブイが松に

引っかかった高さを地図から算出した数字なので精度はある。

 

そこに一人の漁師がしゃがみながら流木を加工していた。インタビューをしたが、そこから出た言葉は、「絶望の虚無感」の世界であった。言葉では理解していた絶望には希望はあった。

 

この漁師の言葉は虚無感と絶望感である。「何をすればよいか、分からない」「何かしなければと流木を加工している」これを売るエネルギーもなく、毎日、同じことの繰り返し。

 

避難所は体育館に雑魚寝。仮設トイレの順番、食事などコミュニティが形成されたが、心のコミュニティはない。親戚・家族に犠牲になった人が居る。物理的な支援も遅く、組織化されては

 

いない。ストレスは「諦め心」にて緩和されるか、「能動」エネルギーはなく「受動」エネルギーをも受け付けない。

 

この現実を見た時、津波は天国と地獄を作る。津波が襲った所と僅か1メーターの違いで何も被害のない家との境界が明確な線引きがされた。それが延々と青森から千葉まで程度は異なるが

 

つづいていた。撮影した映像は30分運転しても瓦礫の山の家屋。この30分の長さには驚いた。走行している車からの景色が30分も続く。この被災の大きさを感じた。

 

大震災で専門家や行政、ボランティアの活動は支援物質を優先しているが、心のケアのボランティアを見たことがない。僅かな希望の光を被災者は求めている。喪失感から救われる「心の糧」

 

は何だろう。その数か月後、さかなクンがやって来た。小学校をめぐって子供を元気づけた。多くの芸能人も出身地を中心として活動を行った。

 

「心の糧」を満たすものは何だろう。コミュニティの再構築を図るには被災者が被災者の「心」のケアが出来る。この取説が出来ていないのでは。違う意見も多々あると思う。被災者の一人と

 

して感じたこと。課題として取り上げて議論だけでもお願いしたい。

 

東北大震災で未だ行方不明の人がいる。東北大震災は今も続いている。能登の大震災などあった。自分のところだけは被害はないとはない。防災について家族や友人と話し合う一日であって

 

ほしい。

 

de 非宇宙人