逆賊の幕臣「小栗忠順」を調べているが、よく言われているのは勝海舟との軋轢である。
勝海舟は軍艦奉行に下級旗本から出世し、明治政府に出仕して更に出世した。
官軍の江戸攻めに当たっては勝海舟が仲介して無血開城で江戸の町は戦場にならなっかた。勝海舟がこの交渉を行った。
一方小栗忠順は2000石の旗本で勝海舟とは雲泥の差のある立場だった。封建時代はこの身分差は絶対である。ただ幕末は外国勢力が日本との交易を求めて威圧行動があった。
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勝海舟と小栗忠順の軋轢はこの時代背景によりつくられた。小栗との軋轢は勝海舟が残した「勝海舟日記」がベースになっている。
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この日記の信憑性を検証しなけれべならないが、かなり「修飾」しているところがある。…と指摘している郷土史家がいる。勝海舟は人気がある。坂本龍馬も人気がある。この二人は
長崎で海軍伝習所で学んだ同僚である。小栗忠順は日米修好条約批准の使節団に目付役として参加したが、当時の不平等な金・銀の交換比率の是正交渉を行った。
この時に米国の近代化技術を体験して、日本に近代化造船工場の必要性を実感した。勝海舟はこの使節団の伴走として咸臨丸を操船したが往路は船酔いで、応援のアメリカ人によって
サンフランシスコに到着。帰路は日本人だけの操船で太平洋を割った初の日本人と称されている。勝海舟は洋式軍艦の必要性は理解していたので、オランダから購入すると直ぐにも日本
は軍備力ある国力を持ち外国勢力に拮抗すると考えていた。小栗は米国で見たワシントン造船所金属の「ねじ」が機械により大量に生産するシステムを見て、このシステム・・・造船所を
に感激した。勝海舟日記に小栗と意見の相違を小栗シンパを含めて批判している。勝海舟の目で見た幕末の私的日記である。中心人物は自分である。
この内容に「異論」を唱えると勝海舟シンパに袋叩きになる。物語は勝海舟が主人公のほうが面白い。「親子鷹」貧乏旗本の親と利発な子供との親子関係を描いた子母澤寛の小説で有名。
小栗を描いた小説は童門冬二の「小栗上野介」がある。歴史の忠実出典を出しながら小説とした大作である。
小栗忠順を精一杯に描いている。少し忍耐がいる。
勝海舟の名言は次がある。
世の中の人は、たいてい事業の成功するまでに、はや根気が尽きて疲れてしまうから、大事ができないのだ。
小栗の名言には次がある。
土蔵付きの売家(うりや)の栄誉を残す。為政者が変われども土蔵(横須賀製鉄所)は後世に役に立つ。
郷土史家は、公式記録を第1次資料として読み解く。「柳営補任」「水野忠精日記」「藤岡屋日記」
「肥後藩国事史料」「続通信便覧」が挙げられる。これを読むことは不可能であるが、挑戦して
いる人がいる。この第1次資料を読み解いて、小栗忠順を史実に基づき考えたいと思って居る。専門外なので、ハードルは高いが群馬県に「元気な小栗忠順を研究している住職」がいる。
85歳かなー応援したいので、調査した結果を彼に伝えたい。「たつなみ」を出版している。
「たつなみ」は小栗家の家紋である。
de 非宇宙人
写真の出典はウィッキペディア