今から120年前の気持ち | ab5fcのブログ

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今から120年前の本日、聯合艦隊は朝鮮半島の南端の鎮海湾に集結していた。遠くバルト海のリバウ港からバルチック艦隊が出港した。1904年10月15日のこと。約7か月掛けて

 

対馬海峡を通り、ウラジオストック向けに航海。バルチック艦隊がウラジオストックに到着すると日本海の制海権が失われて、陸軍への「兵站」logistics」が支障が出る。

 

日露戦争が不利となる。当時最新式の無線電信器を聯合艦隊は積載して、索敵活動を対馬を中心に、網目状に区分した。

 

上海の商社からはバルチック艦隊は対馬海峡を通過するとの連絡を受けていたので、待ち構えていた。本当に対馬海峡を通過するのか否か。ここでバルチック艦隊を逃すと日本の勝利は危うく

 

なると緊張して迎え撃つ緊張感に満ちていた。

歴史は1905年5月27日の早朝にバルチック艦隊を対馬海峡の「203地点」で発見した。

 

この発見の報は仮装巡洋艦「信濃丸」から重要艦「厳島」を経由して連合艦隊旗艦「三笠」に報告された。三笠からは有線電話にて東京の軍令部に伝えられたが、その電文が「敵艦見ゆとの

 

警報を受けて・・・・本日天気晴朗ナレド波高シ」である。秋山参謀の名文。バルチック艦隊を発見したことと天気は良く、荒れている海での海戦は十分に訓練しているから有利との意味が

 

込められている。この自信は遭遇したのが午後で貴賎から数時間で日本の勝利が決定した。

明日はその日本海海戦の記念日となる。記念式典が予定され、保存されている「三笠」は

 

万国旗で飾られ、式典には各国の駐在武官が参列。勿論海上自衛隊の司令官クラス、米国海軍の司令官などが招待されている。この式典は戦勝の祝いでもあるが、この海戦で戦死した

 

日露双方の戦死者への御霊への鎮魂の目礼から始まる。ロシア側の参加者は聞いたことが無い。

この式典は1時間で終わる。その後は艦上で海上自衛隊横須賀音楽隊の演奏を楽しめる。

 

女性自衛官の歌姫を今年も歌を披露してくれると願っている。後部艦隊では懇親会が行われるが

アナクロの軍服を着た一般人もいる。自衛官は第三種夏服(半袖)とドレスコードがある。

 

懇親会の回避は今年は5000円と例年に比べて高い。イモを洗うような賑わいで、当時の

偲び、セキュリティの絆を確認する外交の場でもある。

 

鎮海湾に待機していた聯合艦隊の乗組員、索敵活動をしていた艦船、日本の命運は「今」

を感じる緊張感、高揚感が皆ひっていると思う。

 

戦争を経験したことがない昭和人(戦後生まれは)は既に75歳を超えている。この日露戦争が至った経緯、勝利で来た方程式は何か、その後の日本の歩みは愚かであった。

 

「勝って兜の緒を締めよ」、軍事力を過信して国土の拡大に暴走した陸軍が止めることが出来なかった。二中戦争戦争などの昭和十年から戦後まで、国民はつらい時代と思う。

 

次世代には、戦争と平和を考える課題となる。実物の三笠の上で、当時のに時空をタイムスリップして体験してみる。何を感が字るかは不明だが」平和について必ず感じることにしている。

 

明日がどのような式典となるが、いつもと同じだらブログは投稿しない。」㋞r¥でははければ様子を紹介したい。

 

 

デ非宇宙人