ファミリーヒストリーはどうすれば分かる? | ab5fcのブログ

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夫婦別姓の議論が注目されている。子供の視点で名前を考えた方が良い。

ファミリーヒストリーを開始したらこれが難しい。個人情報保護。 なぜファミリーヒストリー

 

かは後ほど紹介したいが、調べている内に「小説もどき」の人物が登場する。その人物を紹介

したい。家の過去帳と家系図には「男」のみ記載されている。菩提寺も転々としていて今の

 

菩提寺は藤沢に居た時に近いこともあり鎌倉の外れにある。お墓は全部で7つ。両親は先祖代々の墓に。祖父・祖母も同じく先祖代々の墓に。墓は祖父が作った。曽祖父夫妻は独立した墓に。

 

高祖父・祖母も二人一つの墓に。更に高祖父の両親の墓がある。その他に1基、高祖父に関係した小さな墓が敷地外に会ったのを敷地内に入れた。合計7基もある。

 

男の出所は家系図に記載されている。1600年頃から記述されている。嫡男でないと分家するか、養子になるなど姓は変わる。

 

ファミリーヒストリは過去帳、家系図、のほか残された手紙、日揮、物品、備忘録、写真、など

があるが、本籍は明治の終わりころ謄本が残っており、曾祖父までのお戸籍が分かる。江戸に

 

住んでいたらしい。遡る和歌山の「橋本市」高野山の安養寺に関係がある可能性がある。同じ古文書が残されている。

 

先祖の事は50年に一度で誰かが先祖の事を出版しているので、高祖父までは記録がある。これが大変参考になった。あとは残された「お宝」から推察しなければならない。

 

曾祖父の歳時記がある。毎日の出来事は記載されていないが、ブログの様に気になった出来事が掛かれている。明治も十年代に家族の出来事が掛かれている。

 

この文字が読めない。明治の変体仮名である。専門家に依頼して釈文に「翻訳」した。この道筋を追いかける「旅」を行っている。

 

今回は謎の人物「テル」とはだれか?? 曾祖母の名前は「テル」。写真も残っている。歳時記にの記述された「テル」は二人いる。二人とも幕末、明治初期にフランス人とイギリス人に嫁ぎ

 

横浜外人墓地に埋葬されている。フランス人に嫁いだテルは函館戦争に従軍したフランス軍事顧問団の一人の長男。イギリス人は日本郵船の信濃丸をイギリスから日本に輸送した時の船長。

 

この経緯は直属の子孫かの聞き取りで分かっている。全て母方のファミリーヒストリーで、「青い目」をした親戚は戦中は苦労した。

 

青い目をした山の手のおばさんは長生きしたようで、調査を開始する2年前に亡くなっていたので聞き取りは出来なかった。子孫の写真や書類からフランス人との間に生まれたので国籍は

 

フランス。ところが日本の外交官と結婚するために戦前、日本国籍を得るために障壁を乗り越えた。この話は群馬新聞に掲載されている。昭和13年頃美貌を買われて「ロカビリー歌手 平尾

 

正晃」の祖父が創業した化粧品会社の写真入りのモデルをしていた。日本では最初のPR用のモデルるらしい。これは朝日新聞のアーカイブで発見した。外交官と結婚後にモデルは止めた。

 

結婚後の姓は外交官の姓となった。下の名前が言い伝えでは「マテル」さん。この不正確な名前だったが、子孫が手記を残してくれた。「マチルダ」さんが正式な名前。

 

戦後進駐軍の占領している時は、通訳で活躍した。横浜の山の手には英語学校が明治時代には

あり曾祖父がの歳時記には記録がある。

 

言い伝えと記録が徐々に一致して来た。一つの事実から孫引きで聞き取りや、書類を探しに行った。残念柄なことは横浜、東京は関東大震災と戦災で資料が残っていない。

 

山の手の子孫も歳を取った。これ以上は失礼と思い調査は中断している。

多分に自分のルーツを知らないで育っている。ルーツを知りたいのはなぜか。アメリカの映画で

 

黒人がアフリカ大陸から奴隷で売られた先祖を尋ねる物語。この映画にはメッセージがある。

自分のルーツには物語りがあるか分からないが小さい物語は出来る。

 

ファミリーヒストリーはどのものは足りよりも面白い。なぜかを問う前に調査してみることを薦めたい。立派でなくても先祖が頑張ってきた歴史があり、今の自分がある。

 

de 非宇宙人