秋葉原の変貌(東京の電気街) | ab5fcのブログ

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上野の二つ手前に秋葉原駅がある。東京からも神田の次に位置する。この駅は山手線と京浜東北線、総武線の三つの路線が走っている。但し山手線と京浜東北線は並行して走っているが、

 

総武線は直角に交差している。戦後はここに野菜市場があったが、移転に伴い立体駐車場になっていたが、今はビルが建ち、広場となっている。ホームの下にガンダムの喫茶店があった。

 

出口は電気街口と入谷口の二つであるが、山手線、東北線と総武線への乗り換えが複雑であった。一度ホームから上の総武線のホームに出てから入谷口に行かねばならなかった。入谷口に

 

は特に電気の店は少ないが、都営地下鉄の「岩本町駅」があり、ここから京浜急行線に乗り入れている。

 

ビデオの鑑賞ルームが昔から営業していたが、今でも営業していた。この入り口近くに立ち食い寿司魚河岸があった。この店は八重洲にあって、秋葉原、そして品川に移転した、

 

定かではない。回転すしが流行る前に1カン50円が最初の料金、必ず2カンオーダーするのが店のルール。

 

例えば赤身ダブルと注文するとマグロの赤身が二皿 4カンとなる。複数の寿司職人は受け持ちを持って。順番にオーダーをさばく。巻物は1カンでもOK.勘定はオーダーの数で即座に答えが

 

出る。秋葉原時代は伝票にチェックしていた。埒食いの寿司屋は駅ナカに発見した。大船駅。

考えて見ると富士そば「えきめんや」は立ち食い。日本人の文化だと思う。

 

イタリアにバールは立ち飲み屋、日本にも立ち飲み屋がある。アメリカは立って食べる所は行かなかった、立ち食い水魚河岸はアトレーデパートに移転していた。

 

秋葉原は電気街と呼ばれる、駅を降りると電気部品会館がありラジオ会館があった。抵抗、コンデンサー、変圧器、計測器、電線など大学研究室の研究者はここに通って実験装置を半田ごて

 

を使って自作していた。今はその需要も減少して、絶滅種になっている。特に真空管を売っている店はラジオ会館にあったが、どうなっているのだろう。

 

アマチュア無線の販売店が多くあったが、そのうち家電メーカーが進出してきた。duty free の看板を見かけたが、今もある。中国の爆買いで、バスが路上に違法駐車して問題になった。

 

パソコンが普及すると多くのパソコン販売店、周辺装置をうる「ドスパラ:」「sofmap」はまだ健闘している。ラオックスビルはフィギャーの店になっている。

 

オタクの愛用販売店千石電商と秋月(しゅうげつ)電子通商では今も頑張っている。

 

悲しい出来事もあった。三菱UFG銀行前の交差点に車が飛び込み、多くの死者がでた。三菱UFJ銀行は移転している。

 

中国の爆買い時代が治まって、萌カフェの呼び込みが目立ってきた。若い子がお嬢様コスチュームで呼び込みをしている。昔ほど多くはないが営業している。入ったことはない。何か魅力が

 

あると思う。テレビで紹介されているのを見たが、最近は外国人の客は増えているらしい。

 

また秋葉原は若者が集う場所。栄養価の高いラーメンは競争が激しい。その中で瓦屋根の昭和時代のかつ丼を食べさせてくれる店があったが、場所を忘れた。

 

カツサンドは忘れない。駅近くに万世橋がある。神田川にかかる橋。その角に「肉の万世」がる。ここのカツサンドは旨い。

 

この万世場所には鉄道博物館があった。現在はさいたま市に移転したが、その場所を生かして

中央線を見ながら喫茶が出来る。

 

日本の世相が断層的に密集している。化石を見つけた時の因頃媚似た変貌が見事な場所 秋葉原。戦後の日本の発展を凝縮した街を感じる。商店街がこのように時代とともに変貌して

 

消滅しない街づくりは何か。昭和人も平成人もここは楽しい。歩くだけで楽しくなる。秋葉原ガイドの試験があれば応募してツアーガイドになりたい。

 

de 非宇宙人