地域環境(津和野 萩市 益田市) | ab5fcのブログ

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山口県萩津和野は明治維新の英傑を多く輩出した。

吉田松陰は松下村塾を作った。ペリーが浦賀に来航の時は、小舟にて乗船を試みた。

 

当時西洋への興味より、日本のガバナンスに危惧した所業と思う。

幕府にも英傑はいた。小栗上野介など。この時代の歴史は目まぐるしく変動と変化があった。

 

パラダイムシフト。毎日が勝負の日を送った武士階級。

 

歴史の教書では表向きの流れは書けるが、教科書を書いた先生、苦労したと思う。また

書きたい思いは文字にならず。明治維新は教科書では理解できない。まだまだ解明すべき

 

事実が残っている。歴史の事実を誤解する危険性がある。仲間に宿毛出身者がいる。土佐は明治維新推進側。教科書には掲載していない、岩村通利(いわむらみちとし)がいる。各県の知事

 

を経験したが北海道庁長官として名が記録されている。ここで坂の上の雲を作者司馬遼太郎は彼を「峠」で悪役と扱っている。これに宿毛出身は今でも起こっている。

 

司馬遼太郎へのリベンジを考えても先に書いたものが勝ち。司馬遼太郎のファンとしては事実より物語の構成、文章力、調査資料の高さには壁は高い。仲間はどうしようもない屈辱を、最近

 

とうとう行動に移した。「悪評構わぬ龍一頭」と題して上梓(じょうし)した。宿毛は先日の地震で大きな被害を受けた。情報量が少ないので、能登に報道は偏るが自然は公平に被害を与え

 

る。宿毛にも関心を。

 

さて、津和野は鯉の街。街中に水が流れている。明治の大物の屋敷を見たが記憶は薄い。萩にある毛利家の菩提寺の灯篭はかすかに覚えている。奇数か偶数か忘れたが、毛利の殿様が交互に

 

祭られている。高野山安養寺にも毛利家の墓がある。

 

一番の記憶は街中に流れていた歌。萩の街のPRソング。頭から離れない。今もこのメドレーが浮かぶ。最近、この歌の正体が分かった。確認していないが丸山圭子の「どうぞこのまま」

 

で最後フレーズに「萩」が入っていたような記憶があるが。定かではない。この歌には「ディラン効果」「イヤーワーム」と呼ばれるが、何か違う感覚。心に響いた曲。私なら「こびり付い

 

た」でなく「こころひびいた」と解説すべきと思う。

 

カラオケでは歌うときは必ず萩の街を思い出す。萩と津和野三角形の一端に島の件益田市がある。枯山水の立派なお寺萬福寺がある。雪舟作と言われる枯山水の庭がある。観光客が少ないの

 

か、たまたま住職が案内してくれた。一緒に写真も取った。青の枯山水は価値がある。こんな田舎(失礼)に文化の高さを感じた。

 

山口県には寺社仏閣が多い、島根県は出雲大社、だが益田市はほとんどの人が知らない。私は一度しか言っていないが今でも記憶している。津和野、萩の観光に益田市を加えても損はない。

 

de 非自然人