『なごみあう仲間』

「僧とは」

「僧」とは、もともと、釈尊のまわりに集まったお弟子のグローブを意味していました。

心のやすらぎを求める人びとが集まるとそこにグループのもつ力の尊さというか真実の力が生まれます。

そして、そういう心根の美しい尊い仲間になるのが、現実の道の友であり、またそれは仏教徒としての仲間であるわけです。

このように、三宝は仏教の基本です。

聖徳太子が、日本の精神文化の黎明期にいわれたあ、「篤く三宝をうやまえ」というのは、仏と、おしえと、聖なる仲間という、自己の思いをはるかにこえた、大いなる真実の前に謙虚になることによって、自己の小さなこころから、真実の大きな世界へひろがってゆくということを意味したものだったのです。

 

「仏教伝道協会の人生は丹精より引用させて頂きました」

 

◎三宝に手を合わせ、口にとなえ、深くこころにとどめて、その真実の前に頭をたれる仏教徒として仏の教えを信じ前に進みます。