『聖徳太子と仏法』
日本でも、聖徳太子が仏教の「法」を基本とした「徳の政治」を実行されました。
太子の幼年期は、今日の仏教とよく似た病気平癒や戦勝祈願のような、世俗的な仏教理解にとどまっていました。
太子は学僧慧慈からの仏教の真義を学び、正しい「法」の活動を実践されました。そして「法」を基とした国家の柱というべき「憲法十七条」を推古十二年(六〇四)に制定したのです。「篤く三宝を敬え 三宝とは仏法僧なり。則ち 四生の終帰 万国の極宗なり。何れ世何れの人かこの法を貴ばざる。人はなはだ悪しきものすけなし よく救うれば之れに従う。それ三宝に帰せずんば 何を以って枉がれるを直くせん」
「仏教伝道協会の人生は丹精より引用させて頂きました」
◎聖徳太子は中国との外交関係を築くため小野妹子を遣隋使として派遣し国際交流をすすめられ仏教の普及にも力を入れ四天王寺や法隆寺を建立されました。法華経で世界平和を念じ地球を浄土に変えたいです。
