『真実の教え』「法」

人間のあたりまえの道

現在の寺院の姿から考えるとき、仏教の本質を理解することがまことに困難なことはたしかです。お葬式や法事の教えとも理解したくないし、文化財を拝観するだけの博物館的なものとも考えたくないし、梵漢で音声する経典は難解で近づきがたいし、ともかく私たちの日常生活の中に仏教がどのような意味をもっているのかまったくわからなくなってしまうのです。現代生活のリズムなっている彼岸会や盂蘭盆会の伝統的な墓参りにしても、その中には民族的な先祖崇拝の思想がくっついていて、その時その時にいくばくかの宗教的感慨にひたるだけでは、仏の教えはどこからも現れないし、必要もないでしょう。

釈尊の教えはふつうの人間のあたりまえの道を明示されるもので、決して特別なことを発明し、魔法をもって人びとに働きかけたものではありません。人間の生き方といいますか、私たちが貴い生命をいただいたその生命を基として人間としての考え方、心の在り方を非常に具体的に説示されたものなのです。「法」とは現代語的表現をかりるならば、人間としての教養といってもいいでしょう。深く広く教養を積むことです。また、別な立場からいえば、人間学であり、人間の規範でもあり、典礼であるといえるでしょう。

「仏教伝道協会の人生は丹精より引用させて頂きました」

 

◎「法」とはすべて平等なもの、すべて必要なもので釈尊の教えは当たり前の道です歩んでいきます。