『修行の積み重ね』
修行というのは文字どおり行を修めるということで、くりかえしくりかえし行うところに、修行の本義があります。
一回や二回行っただけでは修行にはならないわけです。
ふつう「修行」といえば、苦しいこと、つらいことのように受け取られます。
だが、また「何ごとも修行だ」とか「修行だと思ってやればいい」という言葉のニュアンスにはなにかしら、釈尊が六年間苦行をつまれたという歴史の事実がふくまれているように感じられます。
思えば、私たちの一生は修行であるといえるでしょう。
それはいきつくことのない無限修行であり、この世を去って初めて完結される修行であります。
「旅に病んで夢は枯野をかけめぐる」
よく知られた芭蕉の辞世の句です。もっとも芭蕉は、一句、一句が辞世だと生前いっていますが、人の一生はまさに旅にたとえられるわけです。人生の旅は修行そのものです。峨々とそびえたつ山もあれば、越えがたいような河もあります。
むしろ平坦な道は少ないといったほうがよいかもしれません。楽しいことよりもつらい、苦しいことのほうが多いようににさえ思われます。
「仏教伝道協会の人生は丹精を引用させて頂きました」
◎釈尊は「生老病死」すべてが苦であるとおおせられています、楽は楽と苦は苦と悟り生かされる人生を楽しみたいです。
