『今を生きる』

喜びは苦難のはて

 

身勝手な話

 桜吹雪の舞う中を若い夫婦が訪ねて来た。

「なんとか子供を作りたいのです」と夫、「作ろうと思うとなかなかできなくて」と妻、粘土細工ではあるまい、子供は出来るもの作るという考え方に私は腹が立つた。

「子供は授かるものなのですがネ」と私。

「ホウ」といった顏つきの二人は、しばらくしたから「実は」と話し出した。

 

六年前大学を卒業してから自立する女を目指して共働きをしていた妻は、ある日妊娠している事に気づいた。「もう遊びにも行けなくなるナァ」と夫。「子供の犠牲になって自分を生かす道を閉ざしてしまいたくない」と妻。こうして夫婦の最初の子は闇に葬られてしまった。そして第二子も三子も同じ様に後を追われた。

 

「今でも子供の犠牲になりたくない気持には変わりはありません。でも、両親が早く孫の顏が見たいってうるさく言うし、それなら子供を両親に預けて仕事は続けられると思うのです。」

 

なんとも身勝手な話にあきれるばかり。子供の犠牲になりたくないというが、闇から闇へ葬られた三人の子供はどうなるのか、両親に預けると言うが、それは両親を犠牲にすることではないか。人を犠牲にしても自分は犠牲になりたくないという身勝手さ、そんな人が最近多くなって誠にわびしい。自分さえよければという思いばかりで自立に何の意味があろうと私は思う。自立とはその字の如くひとり立ちする事である。しかし実際は人間一人で生きてゆくことはできない。

 

大なり小なり何ものかの手のお蔭で生きてゆけるのだ。

他の人のお蔭によって自分が今あるのだと知ったら、自分もまた何ものかの役に立つ事を考えて、健やかにたくましく生きる事こそ、真の自立ではあるまいか。肩を並べて帰る二人を見送りながら健やかな明るい家庭を、と祈らずにはいられなかった。

 

◎人間は身勝手ですね、人生が順調の時は自らの力によって家庭を守っていると高慢な思いの人が多いです。

人間がいくら頑張ってもたった一つの身体の臓器を動かす事が出来ない、やはりみ仏さまの大慈大悲です。