『今を生きる』
喜びは苦難のはてに
初々しい心
木々の若葉が新しく芽を吹き始める春、その芽の、なんと初々しく、柔らかいことでしょう。
人間の一生も同じだと思います。生まれたばかりの赤ちゃん。そして若い間は、何でも吸収でき、素直に教えを受けられる柔らかい心を持っているのに、だんだん大人に成るにつれて、やれ義理だ、世間だ、メンツだと・・・この世の垢が増えて行き、まして社長とか先生とか、いわれるようになると、多くの人びとは、若い心の柔らかさを失って行くようです。「俺は偉いんだ、だから俺のいうことに間違いはない」・・・
それは、かなしいほど硬くなった、いわいる大人の心です。
甘言は耳に快く、苦言は決して聞きたくありません。
それは、幸せなことでしょうか。むしろそれは、とても寂しく、もうそれ以上、自分が吸収も進歩も出来ないという、行き止まりに立っていることなのかもしれません。
近頃、老人になっても、初々しい心で、何かを始め、自己開発、自己鍛錬を忘れない方が増えてきているのは、素晴らしいことです。
柔らかいスポンジのような心を持つこと、これは大人にとり、とても難しいことです。でも多くの中高年層の心の不幸は、自分が若々しい初心を忘れてしまっていることにあるようです。生きていることに感謝できる心、自分の中の素直な心に耳を傾け、更にどこまでも何かを学び、行っていこうとする心、その心なくして、どんな幸せもあり得ません。大切なものは、メンツでも世間でもなく、自分の中の本来の初々しい心、つまり仏性を見出すことだと思います。「慎ましく、まっすぐで柔らかい心を持ち、み仏にみまえることを一心に希い、そして小さな自分を捨て、だから生命さえ惜しまず、ただひたすら生きるなら、その人は必ず、み仏と一体になれる、本当に幸せになれる」と法華経の壽量品には説かれています。
◎小さな頭で考えることなく、すべてを御仏に御預けして生きることが大切です。私は歴代の恩師に恵まれ幸せです、報恩感謝を忘れることなく初々しい心を問い直し修行に励みます。![]()
