『今を生きる』

年賀状に思う

今年も残り少なく、年賀状をしたためる頃となりました。

折々に出会う人でも、日頃文通している間柄であっても、年賀状はお互いに心待ちするものですね。「こちらにお出かけの節はお立ち寄り下さい」と、家族一同の名前を書いた賀状。「現在、高校三年生を頭に中二、小学校と三児の親です」と、親の責任感をチョッピリ匂わしたもの。「今年はいよいよ受験です。きついけど体に気をつけて頑張ります」という賀状。

「喪中につき年末年始のご挨拶ご遠慮申し上げます」という葉書も届きます。

 

 

喪中とは四十九日忌までを服喪期間として精進供養にこれを勤めますが、今、改めて先方から賀状の交換を辞退されていささか残念に思いますが、亡き仏さまがたにもそれなりにお正月を味わって頂きたいものですね。

 

 

ところで、日蓮聖人はよくお手紙を書かれました。ことに篤信である南条時光に対しては沢山のご消息が伝えられています。中でも「春の初めの御悦び、木に咲くが如く、山に草の生い出づるが如し、我も人も悦び入って候」と初春を迎えることの喜びを短いお言葉のなかにこめて現わされたこの文章に、私は限りない感動を覚えます。

 

 

年賀状は年に一度、心と心結べる社交として有り難いことですが、頂いて困惑するのは住所の書いてないものもあります。出した本人は案外、「どうして返事をくれないのだろう」と思っているかも知れませんね。多くの人びとから頂いた賀状の末尾にはほとんど「お祈り申し上げます」と書き添えてありますが、私は頂いた賀状は宝前に供えて差し出し人に感謝し、安全とご好運を祈ってのち、種別ごとに整理しております。皆さんは如何でしょうか。

何かとあわただしい年の瀬ですが、どうぞご機嫌よくお過ごし下さいますようお祈り申し上げます。

◎年賀状は縁をつなぐ一つの手段ですね、年賀状じまいをする人も多く見られます少し寂しいです私は喪中の時も年賀状の交換をしましたよ、そして正しい喪中を考えました。一年中、ご先祖様の命日です回向供養をさせて頂きます。