「名僧とは何か」

永遠なる救いを

歴史を動かした名僧

 

「日奥」

織田・豊臣と強力な近世政権が生まれ、さらに徳川幕府の幕藩体制の確立してくるようになると、世俗の権力と対立するようになるとその対処をせまられることになる。その実質的な試金石が、この大仏千僧供養会出仕の問題であった。

 

不受不施制をたてに出仕を拒めば、秀吉の弾圧を受けて宗門の破壊をもたらすこともなりかねない不安がある。

そこで早速京都の有力寺院が集まって討議を重ねることとなった。場所は本国寺、出席者は日禛・日抽・日曉・日通・日乾・日重等である。信仰の伝統を貫き通すか、教団維持のためにはやむなく一歩引き下がるか、意見が分裂したまま結論はなかなか容易に出ない。

 

そこで長老的存在であった日重は大仏供養会に出仕することは宗門の伝統たる宗制からははなしがたいことであるが、もし出仕を拒めば秀吉の怒りを買い、諸寺は破却され、諸寺に住する日蓮宗僧侶は京都から追放となるであろうから一日だけ出席し、翌日からは宗義制法の趣旨を申し述べて出仕御免を願うというという折衷案を提出して会議をまとめようにした。

 

◎多くの僧侶を守るための折衷案ですね。

私も困った時には楽な方に逃げることが多く反省をしています。