「名僧とは何か」

永遠なる救いを求めて

歴史を動かした名僧

 

『天海』

修行のために各地を遍歴

家康の駿府大御所政治において、側近の一翼を担った天海は、南光坊・智楽院と号し、諡号を慈眼大師と称した天台宗の僧侶である。祈祷による神秘な験力によって多くの崇敬者を育てたために、遺徳を偲ぶ伝説的な逸話などもかなり多く、一説には百三十四歳の超人的な寿命を保ったとも伝えられている。しかし、一般には、家康よりは六歳の年長で陸奥国会津郡高田に生まれ百八歳の高齢で江戸において入寂したといわれている。

 

天海は経典・史学・読書・礼楽・諸子百家など、幅広く学問を究め、甲斐国の武田信玄の招きに応じて、天台論議法要の講師を勤めたこともあった。会津に帰ったが再び会津をはなれて、上野国新田郡世良田に至り、長楽寺において修行をつんでいる。会津の黒川に帰ったが、このとき天海は蘆名盛隆から厚遇されている。このように、天海は諸地域を遍歴し研鑽をつみ、学問・教義を深めた。

 

◎天海さんは織田信長に焼きうちされた比叡山の復旧復興をされました。

私は在家において仏の教えを正しく行学させて頂きます。