「名僧とは何か」
永遠なる救いを求めて
歴史を動かした名僧
『快川』
信玄の無二の師となる
山門楼上の壮絶な死
天正十年三月、武田家が滅びたとき、織田信長の先鋒信忠は、かつて、江州の大名佐々木承禎を恵林寺がかくまったことを理由に恵林寺を攻め、織田の軍門に従うことを迫った。
しかし快川はこれを突っぱねたので、激昂した信忠は信長に相談をして、快川とそのほかの僧侶を恵林寺山門楼上に追い上げて焼き殺してしまった。
快川はこのとき燃えさかる炎の中で、安禅は必ずしも山水を須いず、心頭を滅却すれば火も自づから涼しの偈を唱え、泰然として火定に入ったという。
信長は仏教の教え、なかんずく禅風の教義の伝統が気に入らなかった。
仏教の勢力を抑え込み、既成の一切の宗教的権威を認めようとしないところに、新しい価値が生まれると信じていた。
◎戦国の世の終焉を目指し最大の脅威だった武田氏を亡ぼし天下統一をほぼ手中に収めた信長も本能寺の変で非業の死を遂げた。
武力によって制したものは武力によって滅ぼされる歴史の流れです。仏の教えを信じ行うことだ大事です。
