「名僧とは何か」

永遠なる救いを求めて

歴史を動かした名僧

 

『快川』

信玄の無二の師となる

臨済宗関山派の傑物、快川紹喜が信玄の菩提寺恵林寺に入山したのは、天文二十三年のことである。

このおりは約一年あまり居ただけで、美濃崇福寺に帰山してしまう。そして信玄の熱心な懇望によって、ふたたび恵林寺に入山したのは、永禄七年十一月のことであった。以後、信玄に深く交わり、その学問・信仰の無二の師となった。

 

快川は文亀二年、美濃国に生まれた。同国の守護士岐氏の一族であった。同国天衣寺の隠峰和尚によって出家し、のちに長良の崇福寺仁岫和尚のもとに入って修行、仁岫の法嗣となり南泉寺を開創した。

 

その風貌は精悍、俊秀に富み、いかにも明晰、智謀があふれている。その行動もまた精気に満ち、意気盛んなところがあり、その偈や漢詩文を見ても、いかにも禅僧らしい熱情と獅子吼する奔放さが見られる。まさに意気天を衝く個性の持主であったといえよう。そんな快川を、甲軍の精鋭を率いた信玄は限りなく尊敬した。

 

◎信玄の旗印「風林火山」は有名で快川はまさに戦国の歴史を動かした裏方であった。

武力で侵略したものは武力によって滅びる。

現在においても侵略において尊い命が奪われている、今こそ世界平和を念じるとき真剣に念じていきます。