「名僧とは何か」

永遠なる救いを求めて

悟りへの遍歴

栄西と道元

栄西の弟子明全の弟子になった道元は、宋に赴き、曹洞宗の如浄について厳しい参禅の日々の後、悟りを得ることが出来た。

 

宋に滞在すること四年、二十八歳で帰国すると入宋前に住していた栄西開基の建仁寺にいたが、僧風の堕落の様子を見、京都の南方の深草へ移った。

 

弟子が多く集まり、多くの文を書き、弟子を導いたが、四十四歳の時越前へ移った。道元が朝廷に差し出した「護国正法義」が、比叡山の僧によって小乗仏教であると判断され却下され、そのうえ、深草の寺まで襲われ破壊され、道元も追放されたのを機会に移ったといわれる。

 

その後は、北条氏の再三にわたる要請によって、一時鎌倉へ出た以外は、北越の地にあって厳格な参禅と弟子の指導に一生を尽くし五十四歳で亡くなった。

 

◎道元禅師は禅をする姿が「仏」であり修行そのものが悟りとして禅を伝えられました。

私も仏の教えを尊び修行させて頂きます。