今なぜ「法華経」なのか
仏教の本来の教えとは?
*修行をすれば誰でも仏になれる
キリスト教では「神と人」「主体と客体」といった、常に二つの要素の対比・対立に基ずく二元論的世界観をとる。
神は人を超越した存在であり、人間はどんなに精進努力しても神になることはない。神は、人間とは絶対的に異なった存在原理をもつ存在である。
一方、仏教にあっては、法華経方便品の中に「舎利発弗当に知るべし我本願を立てて一切の衆をして我が如く等くして異なることなからしめんと欲しき」とあるように、普通の人でも仏の教えに従って修行すれば、必ず悟りへの道が開かれ、最後には仏になれると教える。
仏は人間を超越した存在ではなく、人間と同一の線上にある同根・同原理の存在である。キリスト教のエホバ神は、キリスト教信者に絶対の信心を求め、且つ、人々に神自身の恣意によって時に祝福を与え、時に罰を与えることができる。
これに対して仏教にあっては、仏は人を超越した存在ではなく、仏と仏の教えを信じることが第一としても、だからといって盲目的に信じることが正しい仏教信者の道ではない。
仏の教えの内容を理解・了解し、また、それに得心・納得してその教えに従って修行に励むところにその人の向上があり、また、その人に対する救いがあり、幸福な人生が開かれ、創られるとする。
仏教信者の一人ひとりが仏の教えに従って努力・精進することだけが、その人にとっての真の救済への道なのである。
◎釈尊は8000回、死に変わり生まれ変わり仏様になられたと伝えられております。
私も仏様に近づけるよう法華経の教えを信じ生涯精進します。
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