「仏教名言60の知恵」
生老病死の悩みを癒す
おかげさまで生きられる
毅然としてひとり立つ
*ピアニスト・内田光子さんの自負心
随処に主となれば、立つところ皆真なり
冒頭の句は独立自尊の精神をうたったものであるが、真実の自己がいかなる状況に遭遇しても、それに適応して主体性を働かせることを意味している。
どうも私たち日本人はひとに追従することを善しとし、万事にわたって及び腰のようだ。
最近諸外国との貿易不均衡による経済摩擦にしても、度重なる金融界の不正取引事件にしても、外圧が加わり、不祥事が暴露されて初めて重い腰を上げるのであって、自主的な事前の自己規制や危機管理に積極的に取り組まないように見受けられる。こうしたことからすべて後手に回り、イザとなって慌てふためくのだ。
日本語で外国語に翻訳しにくい言葉に「せめて」という表現がある。
これは、自分と周囲のひとと比較して、「せめて世間並み」に自分ができなかったときに、そうしたいという気持ちを込めて使う言葉で、それだけ私たちは周囲のひとや世間を意識して、たえずそれに自分を合わせようと努力することだと考えられる。
その結果、近所の子供が高校や大学に入学したと聞けば、それに負けじと親が自分の子を叱咤激励し、受験塾や予備校に通わせてまでも同等かそれ以上の高校、大学に進学させようとし、子供も好む好まざるとにかかわらず受験戦争に呑み込まれていく。
◎世間体をだけを考え主体性を忘れ子供の好む好まざるとにかかわらず受験戦争に追いやっているのは親の責任です。
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