「仏教名言60の知恵」
生老病死の悩みを癒す
おかげさまで生きられる
自然の摂理に感謝する
*日頃から、よい心がけをもって人に接する
日本人は日頃、神仏に祈り、念仏を唱えることは殊勝な人のなすことで、自分には関係のないことと考えがちのようだ。
この世を浮世と考え、人生を深く考えず、毎日を楽しく過ごすことをよしとし、いざ死ぬ段になって慌てふためき、時すでに遅しで一巻の終わりとなる人が何と多いことか。
どうも私たちにとって宗教心は「困ったときの神頼み」で信ずるものでなく感じるものらしい。もしこれが事実だとすると、平常のときから死と対決し、それを超克する道を見いだした人は別として、死期が迫ったときになってはじめて驚愕し、感覚的にいかに安らかに死ねるかに腐心せざるをえない。
これに対して、唯一絶対の一神教を奉ずるキリスト教徒にとっては、従来、神の実在を疑わず、その神と契約し天国に召されることを信じて、悔い改めの信仰告白をすることが大切になっている。
私たちは死んだらその肉体は腐敗して早晩骸と化すことは事実であるが、だからといって私たちは無と化し、この世に何も残らないのは事実ではないと思う。それに気づいているならば、自然の摂理に感謝できるはずであり、私たちが自ら意識的に他を期待しなくても、日頃からよい心がけをもって人に接し、社会に貢献していれば、結果的には人から死を惜しまれ、後によい印象を残すことになろう。
仏教では死ぬことを「ほとけになる」というが、これは本人が浄土に生まれ変わるだけではなく、後に残った人びとのところに還り来たってよき影響を与えることを意味している。
◎私は「善因善果」の行いに撤し御仏の教えを信じ行じていきます。
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