「心のモヤモヤが消える仏教の言葉

鳥沢廣栄、法恩院住職の著

 

「観念

これ以上、打つ手がなくなったとき。人は「観念しました」といって頭を下げます。人は追い詰められてから、やっと観念するものなのです。

観念とは、原語の「往生要集」に見られる言葉で、一種の瞑想法です。

阿弥陀如来や極楽浄土を思い浮かべ、つらいこの世から早く救われたい、極楽へ早く行きたいと瞑想することなのです。あるいは、極楽浄土を念ずることにより、この世のつらさを耐えしのぶ力を得るための瞑想のことでもあります。

 

ですから、追い詰められてから観念したのでは、実は遅いのです。

普段から観念していれば、苦しいことやつらいことにも耐えられる力得られることでしょう。いつも観念していれば、心は常に極楽浄土ですから、どんなときも落ち着いていられるでしょう。

 

極楽浄土や阿弥陀如来に限ったことではありません。

どのような仏様でも菩薩様でも構いません。

つらい時、苦しい時、心にその仏様の姿を思い浮かべ、そのつらさや苦しみに耐えることができる力を念じましょう。

いつも観念してみましょう。きっと、思いもよらぬ力が涌き出てくることでしょう。

 

◎「諸佛を見たてまつると雖も、猶お未だ了了ならず、目を閉ずれば即ち見、目を開けば即ち失う」と説かれています。常時、仏を見たて奉りて教えに添った行いさせて頂きたいです。

 

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