「心のモヤモヤが消える仏教の言葉」
鳥沢廣栄、法恩院住職の著
「我慢」
仏道修行の一つに「無言の行」という修行があります。
この行は、ある一定期間、一言もしゃべらないという我慢の修行です。
無言ですごすことは難しいものです。しかし、我慢を通してやり遂げても、あまり褒められたものではないようです。なぜなら、成功者は無言を通すという我慢にとらわれて、驕り高ぶりの心を持ってしまうからです。
そもそも仏教では我慢してはいけないと説きます。
我慢とは自己中心的な心、ここに我ありと驕り高ぶる心、我は永遠なりと勘違いする心のことです。
現代の私たちは多くの我慢を強いられています。また、幼い頃から「我慢しなさい」といわれ続けて育っています。まるで我慢することが美徳であるかのように。
しかし、本当に我慢はいいことなのでしょうか。「我慢しなさい」という言葉の奥には、自分の都合が優先されてはいないでしょうか。「私たちも我慢してきたのだからあなたたちも我慢するのは当然」という、驕り高ぶった気持ちはないでしょうか。あるいは、「我慢している自分」に自己満足してはないでしょうか。
我慢はしてはいけません。主張すべきは主張し、よく話し合って納得することが大切です。無言の行は、言葉の大切さ、また言葉の以外で伝わるものがあることを教えています。そして何よりも「我慢することにとらわれてはいけない」ということを教えているのです。
◎我慢は煩悩の一つで強い自我意識から生まれる心です。
執着することでおこる思い上がりの心です。
執着から離れることが大事です。
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