「子どもの心に生きる信仰」
◎俗間の経書・治世の語言・資生の業等を説かんも皆正法に順ぜん。
六月の暑い日、そろそろ息子(小学校二年生)が帰ってくるころである。近くの交番」から電話が入る。「こちらは一ノ橋の交番ですが、今、公仁君が・・・」と言って、ひと呼吸おく受話器を握った私は、なんとびっくりしたことか彼は少し遠くの小学校に通っているため毎日、バスと電車を使っているので、もしかしたら交通事故にでも・・・と私は息をのみ受話器のむこうからの次の言葉を待った。
「今、公仁君がバスの中で拾った一円玉を届けてくれました。落とし主が現れないと思うので、交番が預かりますが・・・。公仁君にお礼を言ってあげて下さい」
と若いおまわりさんの声であった。私は、この親切なおまわりさんにお礼を言いほっとしながらも「どうして一円玉ぐらいで・・・」と、つい考えてしまった。
十分後に帰って来た息子に尋ねると帰りのバスの中で一円玉が落ちていると見っけた瞬間「あ、お金が落ちている、これは直ぐに交番に届けなければ!」と思ったという。わざわざ停留所を一つ乗り越して交番まで行ったのである。善き行いをした彼を私は褒めてやりながらも内心では妙に複雑な気持ちであった。
彼の行為は損得考えてものでも名誉欲から出たものでもなかった。彼の心から自然に出た行為を思うとき私は法華経の持つ広大な世界を感じざるを得ないのである。私達の信仰というものは生活と切り離して考えることのできないものである。日常生活の中で正しい教えが生きてこそ本当の生活といえるのではないだろうか、八歳の沙弥の行いに師僧が考えさせられることも、また仏のはからいなのかもしれない。 渡部公容さんの著書より
◎信仰は生活そのものですね。
=一乘会からのお知らせ=
8月21日、写経会(親睦を兼ねて納涼会を開催します)
お気軽にお越し下さい、お待ちしています
詳しくは一乘会のホームページをご覧ください。
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