「濁りのない心の眼」◎汝其の功徳を聴け是の人は八百の功徳ある殊勝の眼を得ん私達は肉眼だけで世の中を見ているのだということを忘れてしまうことがある。最近のめざましい科学の発展によりもたらされた情報化社会に生き宇宙から飛んでくるテレビ電波や印刷物や映像まで送れる電話回線などを平気で利用していると世の中のすべての情報が手に入るような気がする。しかし、よく考えてみると、それらの情報も、もとは人間が肉眼で見たものでしかない。情報量は増えても深層にあるものを見る眼まで備わったわけではない。しかもマスコミを通して得る情報はブラウン管や紙面という肉眼や平面的な情報だけではすべてを知ることは難しい。それだけで善悪や可否、貧富、幸不幸の判断はできない。一九八〇年の春、私はタイ領内のカンボジア難民キャンプにいた。連日報道される難民の窮状に日本の仏教界が立ち上がった。報道はいつも悲惨さだけを伝えていたが、キャンプの中ではカンボジアの人達の逞しい生活が始まっていた。うす汚れたパンツをはいただけの素足の子供達も、あの気候の中では最も合理的な服装だとわかった。ベトナムのサイゴンでも混血の孤児たちが素足で歩いていた「おじさん、ここでは病気や怪我は死ぬことと一緒なのよ」長生きを願うより毎日を大切に生きることに専念している彼らは彼らなりの価値観と世界があった。小学校の校長先生な何が必要かと尋ねると「日本の花の種を」という答えだ。校庭に花壇を造り、子供達の心に明るさを取り戻したいからだと、やがて日本から花の種が現地に届いた。半年後、見事な花を咲かせた。手で触れるもの眼で見ることのできるものだけにしか価値を見いだせない生活を続けることが眼を濁らせている。

伊藤佳通さんの著書より

◎法眼で物事を見たいですね。

 

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8月21日、写経会(親睦を兼ねて納涼会を開催します)

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