「信じ行う」
◎能く一念の信解をを生ぜば所得の功徳限量あることなけん。
毎年、正月を迎えて、高校、大学の受験シーズンになるとテレビ・新聞などを見て思い出すことがある。私がまだ小学校の高学年のころ私の家では父の病気がご縁で改宗し法華経を信仰することになった。父は信仰心深く、そのおかげか数年後、病気は完全に治り社会復帰することが出来た。父は報恩感謝の思いこめ、この私を寺の小僧に出すことに決めたのである。「お前は将来、お坊さんになるのだから公立高校一本で受験しなさい」と言われた。師匠に相談すると法華経やお題目の有難いことをご教示して頂けた。ただ一心不乱に唱題することを勧められ、その日から勉強と唱題の毎日であった。師匠も両親も祈ってくれた。そして、その成果もあったのだろう。無事、高校に合格することが出来た。大学受験の折にも師匠が何度も何度も「変化の人を遣わして、これがために衛護となさん」と「経文の中に説き明かされているから」と言われているのでお題目を一生懸命となえたものである。推薦入学であまり苦労することもなく大学に入学することが出来たのである。受験シーズンになると合格祈願を希望し参拝する現代っ子は手を合わせて合掌し「祈る」ことのないと思われがちだが神社仏閣に参拝し絵馬を書いたりして、しっかりと自分の将来のことを見つめている。私は受験する子供達や、ご両親に対して法華経やお題目が有難いものか、たとえ釈尊や日蓮聖人がお説きなられたことが理解出来なくても、ただ信じて実行することが大切であるかを私の体験を通して話し、信仰に導き入れて、ともに唱題読誦するのである。
福山賢修さんの著書より
◎仏道に入る根本は信ずる心である。
