「心多くして世短し」
◎薄徳の人は善根を植えず。貧窮下賤にして五欲に貧著し憶想妄見の網の中に入りなん。父が亡くなって十年になる。人間は死ぬものと頭で分かっているつもりだが自分の親が死ぬとは考えてもみなかったのが本音である。誠に愚かなことである。その日、父の危篤の知らせを受けて急いで山梨に向かったのだが死に目にあえなかった。身近でお世話をしてくれた弟夫婦や姉たちとともに多くの人の見送りをいただいて無事葬儀をつとめた。親の葬式というものは慌ただしいものである、それが実感であり「ヤレヤレ」そんな思いで父の遺品の整理をして驚いた。父は日記をつける習慣であった。亡くなる前日まで付けられていた。そこには「本日は好天、心も好天なり」と書かれ一枚の半紙が四つ折りされて、しおりとして挟まれていた墨の色が薄く見える。何だろうと開いて見ると、そこには「親が死んだのでない、お前自身も死ぬのだ」と父の筆で書かれていた。激しく頭を叩かれた思いがした。それが僧侶となった息子への父の名実ともに遺言であった。小さい時に、お寺に預けられた私は、この年になるまで多くの人々の葬儀に出仕した。考えてみると、それは自分の仕事としての務めであった。父はそのところを遠くから心の目で見抜いて自分の死という絶好の機会と場所を捉えて尊いメッセージを残してくれたのである。人間は一人で生きれるはずのものでなく、ともに助け合い護り合ってゆくのが本来の姿であり本性である。その大きな心が小さな自分の中にあるということ小我から大我への心の転進さらに小我も大我を根とし一体不二の命であることを身をもって教えているのが法華経である。素直に死を見つめる時、小我の壁が崩れ本仏の命が体現できる。深澤友遠さんの著書より
◎憶想妄見の中にいる自己を痛感させられます。
=一乘会からのお知らせ=
一乘会では毎年バスにて1泊2日で参拝を行っています
本年度は身延山久遠寺と玄妙寺(磐田市)を参拝する事が決まりました。
身延山久遠寺
日程7月23日~24日です
ご一緒に参拝しませんか(身延山で唱題行を一緒してみませんか)
会員への強要は一切いたしません、ご安心ください
詳しくは一乘会のホームページをご覧ください。
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