「生かされて生きる」

◎無量の珍宝、求めざるに自ら得たり

物心ついたころから御題目を唱える母の姿を見ている。どちらを向いても戦後の貧しい時代。親子二人の生活があった。そのころの母は出会う人に自らの信仰の体験と御題目の素晴らしさを語っていた。そんな母を馬鹿にする人もいたが、あまり気にする様子でもなかった、というほうがいいかもしれない。そんな母を見て育った。私が僧侶として今日あるのは決して恵まれた環境でなはないところから発心し仏門を求め出家。それは仏さまのみ心から離れることのない生き方ををしている母の影響によるものである。母を見て私も僧侶を志したのである。信をもって仏祖への給仕を日々の生活とする信仰生活に感化をうけたのはいうまでもない。「御題目に出会うまでは地獄じゃったね。それからは仏さまが苦をみんな肩代わりしてくれた」「生きているのでない生かされているのだ。自分で生きていると思うから病気や苦労がつきまとうのだ」ともいう。

「無量の珍宝、求めざるに自ずから得たり」

法華経はお釈迦さまのみ心のままに説かれたもので計り知れない功徳があるという。私たちが求める珍宝とは財産にかぎらず真実の教えであり人としての人格、生き方でもある。しかもそれらが量りしれないほどというのであるから仏さまの世界は奥が深い。

                      嶋原光見さん著書より

◎法華経の蔵は深固幽遠にして人の能く到るなし(法師品より)

 

 

 

=一乘会からのお知らせ=

一乘会では毎年バスにて1泊2日で参拝を行っています

本年度は身延山久遠寺と玄妙寺(磐田市)を参拝する事が決まりました。

  身延山久遠寺

 

日程7月23日~24日です

ご一緒に参拝しませんか(身延山で唱題行を一緒してみませんか)

会員への強要は一切いたしません、ご安心ください

詳しくは一乘会のホームページをご覧ください。

http://ichijo-123.net