人は稀に自分の知っている知識が常識だと考えて
その常識と相反する人を攻撃してしまうことがあるようです。
ネットワークが構築され、情報が溢れかえり、SNSが浸透している現代はとくにそれが顕著になってきているかもしれません。
なぜならば地球上に溢れる情報量はすさまじく、それを家に居ながら指先一本で収集できることから「なんでも知っている」と勘違いをし易い。
実際はまんべんなく、裏からも表からも多方面から調べようとしない限り、片寄った一方から見た情報やエビデンスのない私見のような不確かな情報も多いのが実情です。
更にそこに追い打ちをかけるのがアルゴリズムで、自分が好きな情報や自分の思考に近しい情報ばかりが集まってきやすくなり、多少片寄った思考や意見でも、肯定してくれる人たちが大勢いることから
「自分の思考が常識で正しい」と錯覚してしまうことが多発しているかもしれません。
それ故に「間違ったことをしている人には教えてあげなきゃいけない」「自分が正してあげなきゃいけない」「教えてあげないと」などの「歪んだ正義感」から他者を糾弾してしまうということが安易に起きてしまっているのかもしれません。
しかし、自分の知っている常識というものはすごく狭く片寄っているかもしれないと自分を俯瞰し、判断する、冷静に考える、もしくは感情を揺らす前に、バックボーンを確認するなどをしてからぜひ動いて欲しいと感じています。
私は日本語が美しくないという自覚はありますし、残念ながら文法もよく間違えてしまうこともたくさんあります。
その私が日本語についてお話しするのはおこがましくもありますし、実際に美しい日本語は聞いていて心地が良いし、とても素敵だと思っています
ですが頭ごなしに「最近の若い人は日本語が乱れている!!」「なっていない!」と仰られる意見に対しては、少し疑問に感じる時もあります。
なぜならばそもそも言葉というのは時代と共に移り変わるものでもあるかと思っているからです。
当初の意味合いと変わってきた言葉たちというものは数多く存在し、同じ日本語であれど時代が変われば会話が難しいことなどは想像に容易いかと思います。
いとおかしなどはもちろんのこと、現代でも普通に使われている言葉でもぱっとあげられるだけでも下記のような例があるかと思います。
雰囲気…地球を覆う大気のこと
貴様…文字通り尊きお方のこと
厄介…扶養家族
雰囲気などは検査会社に入ったときに、そもそもの語源を教えていただきましたが、馴染むまでにしばらく時間がかかりました。
ちなみに「やばい」という言葉が最近の言葉と思う方もいらっしゃいますが、江戸時代の東海道中膝栗毛には記載されている言葉となります。
当初は法を犯すような行為のことのみをさし、語源は諸説ありますが「危うい場(あやういば)」が転じてやばいになったとか、江戸時代ご法度であった賭け事の場所、矢場に居る時に同心などに遭遇してしまう「矢場居」だと逮捕されちゃうが語源などと言われているようです。
思考のお掃除が進んでいくと頭ごなしに人の価値観を非難したり、人格を否定したりという敵や味方の価値観というものが徐々に手離せていくことになるかと思います。
その道中、心乱されそうになり感情が前面に立ちそうなときは、
常識を持ち出していないか?
歪んだ常識で糾弾しようとしていないか?
正義の物差しで断裁しようとしていないか?
背景をしっかり自分自身で確認を取れているのか?
などに思考を張り巡らせてみるのもよいかもしれません
「常識」という重いエネルギーを手離すことができると、頭ごなしに誰かを押さえつけるという衝動が減ってくるようになります。
自分自身が豊かで穏やかで健やかで幸せな日常を送るために
ぜひ頭の片隅に置いておいていただけると、ちょっとだけ日常が軽やかに過ごすことが出来るようになるかもしれません
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Deusa Wasara 最上 明弥(あまね)