セミナー時に
「ちゃんとしないとダメなのではないか」というような内容のご質問を頂きました。
正確には「ちゃんとしないでどうするのか」というようなニュアンスだったかもしれません。
その気持ち、正直に言えばよくわかります。
私個人の話しをすると命占では必ず「真面目」というキーワードが出てくるくらい「ちゃんとしたい派」でした。
真面目というか馬鹿真面目。自分にも他人にも厳しく。
規律を守らない人は人間にあらず。
個人的には許せる範囲でも、常識からは外れるならばそれは決して許してはいけない。
そう思ってずっと生きていきました。
なので、人間社会で生きていく中で「ちゃんとしない」ということはあり得ないことだと感じてもいました。
それが180度変わったのは、日々の生活がとても息苦しいと感じ、楽しみながら過ごすにはどうしたらいいのかと探求しだしたことが始まりでした。
探求すればするほど「ちゃんと」することを手離すことの大切さを実感していきました。
もちろん、お仕事だったり組織に所属をしている場合はまた変わってきてしまいますので、「ちゃんとしないこと」がいいというのは全ての側面で必ずしもではありません。
ですが、個人の時間を過ごすことに「ちゃんと」する意味とは何でしょう?
「ちゃんとする」の言葉には自分がしたくてしているというよりは、
・相手のため
・礼儀を尽くすため
・それが正しいから
・保身のため(責められたくない)
・きちんとした人と思われたい
などの「ねばならない」という義務感なり犠牲、自己保身などが前面に出てきているのではないでしょうか。
なにかのためにやる行動は、無意識に「見返り」を求めます。
「私がこんなにやっているのに」と知らず知らずに周囲に圧をかけてしまいます。
頑張った分だけ、誰かからねぎらいや反応を期待してしまいます。
で、周囲からは感謝や慰労とは真逆の「いや別に頼んでないけど?」と冷たい言葉を返されたりもしてしまうのです。
「ちゃんと」することで、心の平穏が保てることもあるかもしれません。
ですが、それは細かいことを見ることよりも「一般的な通例をなぞることで、後ろ指をさされないで済む」という損得勘定などの理由から選択していることもあるでしょう。
できれば、本当の心の平穏というのは、自らが望んだ行動を起点にすること。
相手を見て、自分がしたいと感じることをすることが望ましいかと思います。
なぜならそこには、「やりたくてした」という自己発信なので、見返りを無意識で求めてしまうことが格段に減るからなのです。
無意識で何かを求めてしまう行為は、エネルギーをとても浪費するし、自分で気づかない分、直しようがなく、予想外なところで傷ついてしまうことが多いから。
全ては他でもない自分自身を大切に過ごすための一つとして
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Deusa Wasara 最上 あかり