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笑福亭 鶴瓶さん、テレビを見ない私でも時おり地上波にチャンネル合わせれば「ああ、また出てるな」「こっちのコマーシャルにも」と見かける。
鶴瓶さんの師匠は六代目 笑福亭 松鶴←しょかくさんね。
仁鶴さんや鶴光さん他多数の人気落語家を輩出。
鶴瓶さんの弟子は純瓶、銀瓶他多数。
こうして師匠の一文字をもらって高座名として客前に。
松鶴さんの落語は凄かったですよ。いや もちろんライヴを聞いた事はない、映像で見たんだけど話の絵が頭に浮かぶ。その頭に映し出される絵に笑う、怒る、泣く。
その絵にどんどん引き込まれる自分がある。
あれが噺家と呼ばれる人の芸なんだな。
興味あればYouTubeで見られますから是非。
調べてみると六代目 松鶴さんは'86年に68歳でお亡くなりになられた。早かったですね。
相当に酒が好きだったと聞くので飲み過ぎなのかな?
お亡くなりになる際に「煩悩を我も振り分け西の旅」という辞世の句を残された。
これは五代目の松鶴さん辞世の句「煩悩を振り分けにして西の旅」という深い句をオマージュして詠まれたもの。
鶴瓶さんが松鶴さんに弟子入りしたてでまだ名前も頂いてなかった時代、本名の学←まなぶ で師匠の家に毎日通ってカバン持ちとして行動を共にしてた駆け出し時代の話を聞いた事がある。
寄席にお供しても舞台袖で師匠の話芸を聞く段階でもなく関係者出入り口で下足番をしてたそうです。
ある日に松鶴さんと大変に懇意の新聞記者が訪れ物凄い失礼な態度で周囲に接した。
それを咎めた学青年に下足札を投げつける傍若ぶり。
これは許せないと学青年、記者に食ってかかったところ名前を聞かれ師匠に言いつけてやるとなって楽屋まで引っ張って連れて行かれたと。
師匠の前に行ったその記事は先程の勢いどこへやら、物凄い低姿勢で松鶴さんに挨拶。
師匠は楽屋口に立つ学青年に気付いて「そんな所で何しとんのや、ちゃんと下足番しとかにゃあかんやないか」と怒鳴られた。
そこで学青年は先程の出来事を師匠に伝えた。
すると師匠は記者に向かい「あほんだら、何しとんのや、お前これから こいつに どんだけ世話になるか分からへんのやで」と。
そして「いね(←帰れ?)どあほー」。
今度はいつも自分の記事を書いてくれる大切な記者を怒鳴りつけて帰してしまった。
松鶴さんは弱い者いじめをした記者を許せなかった。
弱い立場の弟子を助けた。
酒が大好きな松鶴さん。
その日も上機嫌のまま風呂へ。
湯舟に浸かり学青年を呼ぶ「学、ぬるいさかいに湯いれー」。
昔の風呂だから左右の蛇口で水とお湯が分かれてるんだよね。
それを学青年、ぬるいと言われたもんだからお湯の栓だけ思いっきり捻った。
蛇口から熱湯に近いのが師匠の背中目掛けて吹き出してメチャクチャ怒られたそうです
(⌒-⌒; )
師匠には散々怒られ怒鳴られ怖い人だなと常に思ってた学青年。
師匠宅には愛犬チャッピー、チコ、ぺぺという日本犬の狆←チンね、がおり ある朝いつも通りに師匠宅に行くと師匠が思いっきり泣いてた。
チャッピーが亡くなった朝だったのね。
本来なら師匠と一緒に悲しむべきところを普段の怒鳴る、怖い、怒って所構わず叩く師匠を思って泣いてる姿がおかしくて おかしくて、こみ上げる、湧き上がる笑いを こらえて こらえて師匠に声を掛けるが「なに わろうてんのや」とバレて また怒られたという
(*^▽^*)
普通あまりに失敗続けたら辞めさせるじゃない。
ところが松鶴さん、散々の失敗、度重なる失態を重ねられても都度許して。
下足番の話なんて学さんの方が追い返されそうだけど違った。
ただの青年、将来「鶴瓶」という名を与える若者の素質を見極めてた。
そして兄弟子たちとは違い落語は一つも教えなかった。
ずっと違う話芸、いわゆる「鶴瓶話」で活動させてご本人は50歳になって自分で研究して落語を始めた。
この人は落語より喋りをやらせてタレントをやらせるのが良いと見極めた。
松鶴さんの落語は人を惹きつける物凄い力があるけど人を見る力も凄いものがあったんだね。
読んで頂きありがとうございました。
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