Rock 'n' Roll魂 去る | bluearrowのブログ

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日本一の不良ジジイ 内田 裕也さんは17日早朝にお亡くなりになりました。
 
西宮の工場経営者を父にお坊ちゃん として生まれた「ええしの子」は家族の反対を押し切り高校中退でバンドボーイ、今で言うローディーからスタートし私が生まれたとされる1958年にバンドを結成、'66年 ビートルズ日本公演のオープニングアクトを務めるまでに出世。
数々のバンドをプロデュースしデビュー、成功させた。
自らもライヴに拘り続け体調悪化の昨年末まで活動を続けた。
 
このブログを読み続けてくださってる方は時折「私が師匠と考える人」という表記や前回にも書きました「目を掛けてくれたミュージシャン」として書かせてもらってるのを見て頂いてますでしょう。
内田 裕也さんの事なんです。
私が音楽活動を始めた頃に里親宅を訪れて「俺に引き取らせてくれませんか?必ず立派に育ててみせますから」と話してたのが今でも頭から消えない。
結果 裕也さんのところに行く事はなかったけど以降ずっと私の活動をサポートしてくれて当時活躍のバンドにゲストとして入れてもらったり、14歳の時には武道館で行われたフェスティバルに自分のバックバンドのドラマーとして私を指名してステージに上げてくれた。
以降、何度か武道館に出たけど初めての、あの時のエキサイティングな感覚は忘れられない。
 
少し前、あるミュージシャンのお別れの会に参加した時に裕也さんも来場してて。
私は本編が終了した時点で隣のホテルのバーで飲んでた。
そこに裕也さんが1人で現れて「なんだ、いたんですか」と久々に一緒に飲んだ。
「あなたとは葬式関係でしか会えなくなったね」と笑って。
帰りがけに「まー 近々俺の番だからヨロシク」と笑わせて先に出て行った。
バーテンダーは「意外と普通の方なんですね」と驚いた様子。
そう、意外と普通の人だった内田 裕也。
 
最後に会ったのは2月の頭。見舞いに行き昔話しになって、裕也さんの系列のミュージシャン、松田 優作さん、ジョー 仲山さん、安岡 力也さんと早くに亡くし皆んなの魂を吸って生き残って、と。
昔の、お前は ああしろ こうしろ、といった勢いは消えていて弱々しく、やっとの思いで言葉を出す裕也さんを見て、ああ この人きっと長くないんだな、と覚悟を決めた。
でも思ったより ずっと早くに訪れたお別れ。
 
日曜に一仕事した後、待ち合わせして映画「翔んで埼玉」を観て笑って、帰りに美味しく飲んで話し良い気分で電車を待っている時に事務所の方から電話をもらった。
驚いたけど すぐに落ち着いてお顔を拝見に伺った。
マスコミに発表前、ごった返す前に呼んでくれて有り難かった。
静かな、今にも「あなた 何しに来た?」とでも言って起き上がりそうな姿を見て引き揚げた。
日本Rockの一時代を築いた人が去ったという事実を突きつけられて悲しみが溢れ出た。
内田 裕也というRock 'n' Rollerは確かに去った。
だけど あの人の魂は日本Rock界に永遠に残り引き継がれ消える事はない。
 
合掌致します。
 
 
武勇伝には事欠かず都度マスコミに大きく報じられたけど怖いイメージには必ず笑いが付いて回ったじゃない?
だから私も裕也さんとの笑える想い出を次回に改めてブログとします。