懐かしい想い出を蘇らせた風景 | bluearrowのブログ

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埼玉の大宮から秋葉原、東京、品川などを通り神奈川の大船まで通勤、通学の要はJR京浜東北線。
先日、この電車に乗って造船大手の工場に講演に出掛けました。
横浜を過ぎて観覧車やランドマークタワーで賑やかな桜木町から数駅で目的の根岸駅。
改札を出た瞬間に昔の記憶が一気に蘇り思わず空を見上げた。
街の風景はかなり違ってたけど至る所に面影が残ってて懐かしく。
二十歳前で まだ仕事は少なく食えなかった時代。
あの頃はアルバイトに汗を流して生活費を稼いでて時々思いもよらないタイミングで仕事が来るので安定したスケジュールは入れられず流れ者みたいに短期で稼げる、1日だけのアルバイトを探して数えきれないだけの場所で働きまして。
そんな生活をしてた頃に根岸で下車して港で働いた事がありました。
 
「沖仲仕」(おきなかし)って仕事を聞いた事ありますか?
横浜港に限らず当時の港は開発途上で大型船を多数着岸させるスペースも深さも足りなかった。
優先される大型船は限られててチョコレート、サケ、コーヒーなどの嗜好品は下位に回されるので地方の利用可能な港に回り陸路で首都圏へ入るようになりコストも嵩む。
それでも一刻も早く陸上げをして流通網に乗せなくては仕入れた品物は現金化出来ない。
そこで東京、横浜の港に着けて早く荷卸ししたいなら大型船を遥か沖に停泊させておいて、そこから港に入れるだけの大きさの運搬船に積み替えて陸揚げする。
これに関連する作業員を「沖仲仕」と呼び時代とともに今は消えてしまった仕事かと。
レストランでアルバイトすると時給400円の時代に1日働くと9000円になった。
代わりに物凄い重労働で大概の者は3日と続かない。
それどころか途中で逃げ出す者多数。
働きたければ予約など不要。
早朝に港近くの駅で待つマイクロバスに乗るだけ。
定員に達し次第発車なので早くに行かないと「アブれる」事に。
バス前で待つ港湾関係企業から人集めを依頼された、こちらは「手配師」と呼ばれ今で言う非合法組織が中心。
大概の手配師は仕事をサボる者、逃げ出す者を制御するために肘まで入れた彫り物をわざと見せつけて威嚇する。
現在は筋肉に脂肪つけて70キロに少し足りないだけある私。
当時は50キロもない細さ。
バス前で待つ彫り物の、具体的な顔は忘れたけど恐ろしいまでの強面と記憶。
そのオッサンから「おい 兄ちゃん大丈夫か?途中で音を上げても金は払えねーぞ」と気合いを入れられる。
ふて腐れた態度で「来たからにはやるから」みたいな事を言ったと思う。
「言ったな 忘れんな」と怒鳴られた覚えあり。
「うるせーんだよ‼︎」と返したが初めての仕事だったので内心不安であったかと。
 
マイクロバスが着いたのは本牧埠頭。
作業が始まり聞きしに勝る重労働に逃げ出したくなる気持ちが解った。
ひとまずの担当は陸に着いた小型船から渡される20キロ入りの麻袋(中身はコーヒーの生豆)を受け取り5メートル後ろのトラックで待つ人に渡す。
肩に担ぎ上げ たったの5メートルを歩くのにも足がもつれる始末。
いたる所に氷の入った大きなヤカンが無数に置かれ水分補給は怠らない。
しかし次第に疲労が蓄積して もう本当に気力で作業を繰り返す。
数隻で往復の運搬船着岸はいつまでやっても止まらないが一悶着しただけに投げ出して逃げる訳にはいかなかった。
頭に血が登って何としても1日働いてやるんだと意地になってた。
 
やがて10時の休憩。
シートが広げられ大袋から山のようにお菓子が放り出され羊羮が不潔極まりないナイフで大きく切り分けられ積み上げられる。
近くにいた作業員が「早く行かないとなくなっちまうぞ」とお菓子の山に取り付く。
私も習って掴めるだけのお菓子と羊羮を一切れ口にくわえる。
重労働に悲鳴を上げる身体は甘い物を要求し たちまちの間に大きな羊羹を3つ4つを頬張った。
ヤカンには冷たいお茶。
カップなど置いてなく口を付けて貪り飲む。
約30分の休憩は天国のようだった。
そしてまた始まる過酷としか言いようのない作業。
この時点で陸側で作業の少なくとも1名が脱走し1名は荷と共に海に落ちて救急車。
人員が減ったからと補充がある訳ではなく、しかし夕方4時に沖仲仕が帰る時間までには荷揚げを終わらせないとならない。
「急いでくれ!!」と激が飛ぶ。
 
何十回の往復か記憶もなければ数えるだけの気力も失せた頃に昼休憩。
この類いの仕事はメシ付きなのが有り難かった。
並んで弁当を受け取って その重さに驚いた。
ご飯とオカズは別の容器に入ってて量は今コンビニにある弁当の3つ分はあった。
それだけでなくトラックの出入りで埃舞う場所で大きな寸胴鍋に作った味噌汁に うどんをブチ込んだのをラーメンどんぶりでくれる。
こんなに食えないよなー、と思うが重労働のために消耗した身体は吸収するもんで残らず食べてしまう。
 
午後から私一人がなぜか陸から小型船の作業員とトレードされた。
大型船から機械で吊るされたネットで下ろされる荷の積み替えと海面から地面に持ち上げるのは辛かったが往復の時間は休めるので助かった。
 
予定より早くに全ての荷を扱い終えて汗にまみれ肩が擦りきれたTシャツとボロボロになった軍手で最後の荷とともに陸に戻ると帰りのバスが待ってる。
そこで茶封筒に入れられた今日の稼ぎを受け取る。
途中で落伍した者の分も分配された。
私は1つの荷に悪戦苦闘したが中には強者が数人いて2つを平気で運んでた。
時には更に1つを脇に抱えて一気に3袋を運ぶ。
つまり二人前以上の仕事をこなす。
多分、重労働のプロで例の彫り物オヤジと顔見知りなんだろう。
その人たちは2つの茶封筒と更に一万円札を受け取って彫り物オヤジから「明日も来てくれないか?」と声を掛けられてた。
続いて私の所につかつかと歩いて来て「初めて見る顔だったけど よく働いたな。明日も来られないか?」と言われた。
朝は態度悪く生意気言ったので様子見でキツい作業をさせておいて昼からの交代は楽をさせてくれたのか?それでも辛かった1日が報われたような気持ちになり続く船が一段落するまでの数日を本牧で働いた。
 
 
 
根岸駅から大手造船所までは かつてのキズやヘコミだからけのマイクロバスではなく黒塗りのセダンが待ってた。
港までは距離があるのに潮の香りがしたような。
時は流れ想い出は消えかけたけど1つの風景が懐かしい想い出を蘇らせてくれた。