夏休み終盤の日曜。
40年以上も前に卒業した学校に講演へ。
打ち合わせの際に「私でよろしいんですか?」と思わず聞いた。
在学中は、とても高校生とは思えない服装で出席しては問題ばかり起こしてた。
小学生から仕事として音楽をやってた私は中学を卒業したら修行として一般的な社会人として活動したかった。
時代的に周囲には中学を出て自衛隊、美容の業界、理容師、調理の道へと出ていく者は沢山。
また働きながら学習の道も多いにあり「芸能コース」なる科目を作る学校さえあった。
そんな中でも当時から一芸入試のような形で生徒を募集していて入学金、授業料は免除の学校があり、武道、舞踊、演劇、英語が抜きん出ている者、あるいは音楽を目指す者にレポート提出を中心に月に数回の出席で単位を取らせる学校があり、訳あって私はそこに入る事に。
当時はマジメで学業に専念したい者とワルで高校は形だけ、のような二極化があったように思う。
私は後者にあたるだろう。
ケンカが強い高校ってのも沢山存在して。
やはり、その道でも有名どころだった。
東京中のワルい中学生から ある意味憧れられた学校。
そもそも入学式の日。
腰までの長髪に下はベルボトムの学生服で会場に入ると、すでに先に着席していた別のコースの、床屋の見本のようなリーゼントに剃り込みを入れた男が私をじっと見据えてた。
射るような、鋭く斬り付けるような眼光。
一向に目を逸らさない。
見られればこちらも見る。
やがて立ち止った私。
目を合わせたまま磁石に引き付けられるように、着席している者の中を無理やり掻き分けてその男に向かって一直線に歩いた。
男の前まで行った時、そいつも立ち上がった。
私を見下ろすように目を合わせたまま。
負ける気がしなかった。
胸で押し合い足を踏み合う。
教師や職員が必死に止めに入るが収まらない二人。
引き摺るように引き離され無理やり着席させられた。
後に聞けば多摩で有名な、あちこちの中学をヤツら一派で仕切って他の地域からの暴力沙汰を一切許さない。
その頭を務めた、あの有名な男だった。
ヤバい所に来ちまった。正直な思いがあった。
が、どうせ来やしねー(出席しない)構うもんか。
その男とは事ある毎にモメ事を繰り返す。
たちまち仲間を増やしたあの男。
2年生までも仲間に取り込んで勢力を拡大して行く。
一派のカバンはいつも空。その中には鉄板。
いざケンカの時には道具となる。
道具で殴り倒してでも勝てばいい。
なんて汚ねーヤツら。
ずっと思ってた。
ギャラの受け取りや何かと立て替え、交通費。
当時は振り込みはなくカードも一般的ではなく何事も現金扱い。
15歳ぐらいで財布には常に10万以上の現金を持ち歩いていた。
登校の日、他校のワルへの内通者がいた。
学校に行けば帰りに必ず襲われる。
最初は2、3名で校門前や最寄りの駅で待ち伏せる。
格闘技やってた訳ではないがケンカには自信があって3、4人は捩じ伏せた。
そんな面でも警察沙汰や周囲へ危ない思いさせて学校には散々迷惑かけて。
しかし やられた方もそのまま済ませてはくれない。
やがて強いヤツが出てくるし増員掛けられ財布ごと持って行かれる事もあった。
ある時、まとめて3人に瀕死の重傷負わせる事件を起こす。
警察は動くし教員団体は会議を開くわで大騒ぎ。
仲間の助けもあり大人たちの目を逃れて囚われる事はなかっが、やられた方は収まらない。ある日に捕まった。
6,7名いたか。
空き地に連れ込ま散々 脅かされても一向に顔色変えない私に相手は苛立つ。
リーダー格に襟首掴まれて、「チョーパン」を覚悟する。
片足を半歩後方へ下げて、鼻に向けて一撃喰らう所に後方の茂みが急に騒がしくなり相手の勝ち誇った顔は驚愕へと変わった。
そして まるで水戸黄門の風車の弥七のように私の頭をかすめて あのカバンが相手の顔面にヒット。
ヤツら一派が救援に来てくれた。
私を含め7名で逆襲する。
一分でカタは着いた。
「二度とこいつに手を出すな」とあの男は言った。
「もっと早く来られねーか?」と悪態つく私に「ちったー(少しは)ビビったかよ」と笑う。
ヤツらの論理は単純。
愛国心のように学校を愛する精神がある。
昔は多くの者にあった。それは登校時に校門で礼をして入る姿にも表れた。
教師を敬う心があった。仲間を愛する、学校を愛する。
同じ学校の者が他校の者に殴られるのを見ておられないのがヤツらだった。
学校で顔を合わせる度にモメる、機会あればケンカ売る私を「根性ある」と、一目置いてくれていたあの男。
この件 以降は和解して仲間として付き合う。
「族」には参加せず、またケガは怖かったが仕事に影響しない程度で乱闘にも加わった。
あの男は多摩の顔役としての立場で自分たちのネットワークに私の名前を紹介して一切の手出しは許さない、と言い切った。
お礼は一切受け取らないが時々、大概は土曜にメシを奢らされる。
大歓迎で招待するが同じ学校の一味が10数名。
時には20名を超える野郎ども。
連れだってファミレスの走りスカイラークへと出掛ける。
この時は遠慮なく食いまくる野郎ども。
格闘技を習う者、ケンカで鍛えた者、あるいは日頃、肉体労働のバイトに励む者など、とにかく常に腹減りで。
そんな血気盛んな15,6歳の連中が腹一杯に食いまくる。
今のようにドリンクバーなどないし、稼ぎがあった私も財布の中身が心配になる事 度々。
そんな席でヤツらは行儀よく振る舞う。
タバコを吸う者もいたが私の前ではやらなかった。
もしも補導されて私に類が及ぶ事を嫌っての事だった。
そして決して弱い者に手出しをしないヤツら。イジメなど一切しない。
相手にするのは街にウロつくワルだけ。それも金を取ったり一切しない。ケンカを売って顔を売る。ただそれだけ。
正義とは違うが一筋通ったワルたちだった。
バイクの免許を取って速いバイクに乗るようになった。
KAWASAKIのZ1という 900CCで当時は国内で販売されていない、
直線ならチューニングした白バイよりも速いマシン。
それまではトランスポーターと待ち合わせるか仕事場まで電車で移動だったが安全に一人で移動が出来るようになった。
だが案ずる あの男はトランスポーターと別行動で仕事に向かう私に交代で守りを付けた。
多摩から都内の仕事場へ行くには多数の市と杉並、世田谷、新宿と「族」の本拠地が目白押し。
東京中の「族」グループに対して回状が出され私のバイクのナンバーに手出し無用と通知がされた。
それでも仕事に移動の際には必ず知らせるように言われ、前後に一台づつバイクが付いた。
帰りはさすがに一人で帰ったが本当に心強かった。
時折、事情を知らないチンピラに絡まれたりで都度、騒ぎを起こしては各所に教員が走り回るという、学校の広告のように入学させた者が逆にケチを付けまくった3年間。
だが何とか卒業を迎える事ができた。
私は系列の大学へと進学し、あの男は別の武道が強い大学へ行った。
風の便りに少林寺で活躍し全国でも指折りのランクに入り武道の道でも有名になったと。
そして露店商を手伝っていると。
かつてのお礼も含め会いたかったが、あの男は何かと理由を付けては誘いに乗ってくれなかった。
大学を卒業し、あの男の行方もわからなくなって何年にもなっていた。
あの時代を思い出して一緒に飲みたいと、何とか連絡先はないかと探した事も。
沢山助けてくれた感謝の気持ちが今も残る。
あの時代を。あの凄まじい時代を過ごした学校から呼ばれた。
打ち合わせでは本当に私でいいのか?と念を押すように尋ねた。
歓迎してくれ、是非来てくれと。
あの頃のまま残る講堂。
初めての女性。初めての恋。初めての失恋と悲しみ。
信じる事も裏切りも,何もかもが一瞬にして蘇り、こみ上げる物があった。
その日、学校側のイベントを中心に中学から大学までの系列の生徒と保護者に一般の入場者も含め、かなりの人数が詰め掛けた。
こんな席ではドラムソロから始めて話に入るが、やはり特に気持ちが入る。
いつもは5分程度だが10分近くも叩いた。
最後にシンバルを3発叩いてスティックを置くと大歓声と鳴り止まぬ拍手。
いつも満足行くドラミングを心掛けるが久しく感じなかった達成感に心を満たされた。
そして礼をしながら右から左、最前列から後ろまでを見渡す。
すると最後列に私を見据える、あの射るような、鋭い刃物で切りつけるような瞳があった。
ほんの一瞬、二人の視線は空中で激突し誰にも解らない激しい光を放った。
あの男が来ていた。
数十メートルを隔てて激しく睨み合い、そして同時に微笑み合った。
準備した台本は全て捨てて頭から質問に答える。
「どうしたらミュージシャンになれるんですか?」「どうしたらドラムが上手くなりますか?」の定番の質問に恋愛相談や家庭での事、バイト先での付き合い方等も混ざり笑いが絶えない会場。
長くなったので質問を終えようとした頃に「○○○さんは高校の時にどんな方だったんですか?」と来た。
そこで小学校で楽器を始めた頃からの事。
中学校から当高校に入った経緯や武勇伝を面白おかしく披露して、そしてこの席に招かれた嬉しさ。
信じる事や頼る、という事。助ける事や優しさとは?
などを感情込めて話した。
イスから転げ落ちそうに笑う人、大きく頷く人、ハンカチを目に当てる人。
来てくれた方々、私の話を真剣に受け止めてくれた感謝の気持ちが湧きあがって、喜怒哀楽、織り混ぜ力いっぱいに話した。
最後にリクエストにお応えしてドラムソロ。
先の3発で終わった所からつなげて短く仕上げた。
また大きな声援と拍手の中、花束を頂き高い所から降りて皆さんの中央を通り会場後方のエントランスへと向かう。
握手に伸ばされる手を握り花束から1本、また1本と取り出して左右の人に手渡して行く。
最後列に立つあの男に近付いた。
笑顔で握手に応える私を あの射るような瞳で見据えるのがわかる。
花束は空になった。
その時に あの男の横に着いた。
中央に残った1本はヒマワリ。
あの男の胸に差し出すと それを両手で受け取り満面に笑顔を見せた。
手を握り合い抱き合った。
トランスポーターのドライバーに あの男を捕まえておくように言って校長室へと引き上げる。
学校役員たちから感謝の言葉を頂き、来て良かったと。
これで積年のわだかまりが取れた思いがした。
話しているとドライバーから電話。
あの男は早々に引き上げると言う。
少しは話しておかなくては、と中座して急いで校門へと向かう。
高校当時と変わらない、肩を怒らせ大股に歩道を行く あの男の姿を見付けて速度を上げた。
追い付く直前に何とも異様な雰囲気の二人の横をすり抜けた。
「待ってよ○○さん」
顔だけ振り向いたが足は止まらない。
「ちょっと待てよ」
「歩きながらで良いだろ?」と愛想よく言うが急ぐように歩き続ける。
来てくれて ありがとう、調子どう?飲みに行きましょう、などと話掛ける私に曖昧な返答を繰り返す。
気が付くと道路の反対側と前方に私たちを囲むように二人づつの男が距離を空けるではなく近付くでもなく寄り添うように付いている。
さっきの二人を含め6名に囲まれている。
「なんか変だぞ。わかるか?」と小声で言う私に 男は初めて立ち止まり
「よく気が付いたね。普通わからんぞ。流石だねー」と笑う。
「うちの会社の者たちなんだよ」と。
「会社やってたのか。景気良さそうじゃないか。ほんと時間作るからメシ食いに行こうよ。名刺ください」
と言った時に駐車場に着いた。
「これ渡せないから見るだけ。返してね」と名刺入れから1枚出して渡してくれた。
その名刺には金の紋章と文字で。
名前を出せば誰でも知ってる、あの強大な組織力を誇る、いわゆる反社会的団体の名称があった。
そして男が、その組織で関東でも指折りの要職に就いている事が知れた。
さほど驚かなかった。
彼は自分の進むべき道を必死で歩んで掴んだ地位だろう。
好きな所へと進み正に道を極めた。
「そんなの手元に置いとくとマズイよな」と手を差し出す。
「構うもんか。これは○○の実績じゃないか。私は仕事以外の○○を知ってる」
と言う私に「今日はお別れに来た。ずっと気にしてたが連絡も出来ずに すまなかった。出世した○○○の姿を一度見たかったが最初で最後だ。良かった」「そんな事言うなよ」
「○○○の邪魔をする訳いかないからな」
と言って車に歩いて行った。
その団体に属する者が私と付き合う訳にはいかないと。
私の動向をずっと耳にしていて機会を窺っていたと。
母校で再開を果す事が叶って嬉しく思うと話した。
男は車に乗り込み警護の6名は横一列に、私に深々と頭を下げ各々の車に乗った。
駐車場の前に立った私の所を通り過ぎる、あの男は前方をじっと見て暗い世界の者の顔になっていた。
高校時代に一緒に死ぬかも知れないような乱闘を同時に潜り抜けた。
いつも助けられて返す事も出来ない恩がある。
もう逢えないのか。
臼闇に光るテールライトを見えなくなるまで見送った。
肩を叩かれ「学長がお待ち。顔を洗ってからね」とドライバーに声を掛けられて現実に引き戻された。