アイリスが改めて中に入ったものの、雰囲気は最悪だった。全員がアイリスに、殺気に近い視線を投げかける。
アイリスは心の中で思い切り、ため息を付いた。
が口を開いた。
「先程も言いましたが、今回私がオーガスタスの、代理議長を務めます」
アーシュラスがふん!と鼻を鳴らした。
「奴は腹でも、壊したのか?」
アイリスは、笑った。
「オーガスタスの欠席に、興味がおありで?」
アーシュラスは憮然と告げた。
「ある訳無いだろう!」
ダーディアンが唸った。
「なら、聞くな!」
二人は睨み合う。アイリスはそれでも笑顔を崩さず言った。
「今日は私ですのでこの際、やり方を変えたいと思います。議題を設けず・・・」
が、アーシュラスが立ち上がった。
「前回の、カタはまだ、ついて居ない!
アイリス、お前オーガスタスからちゃんと、引き継いでいるんだろうな?」
ばっくれるつもりかとアーシュラスは説き、アイリスは応じた。
「・・・決闘の、件ですね?」
アーシュラスは安堵したように、頷いた。
「・・・あの賄賂を送っていたのはドッセルスキの独断で彼は逮捕された。送り主が逮捕された以上、誰が貴方に金を送ると言うんです?
新たな近衛の者と、話し合いがついていると?」
アーシュラスは、唸った。
「ギデオンを、呼べ!ドッセルスキを引継ぎ、ついでに体も差し出せと言ってやる!」
一同が、顔を下げきった。あちこちからため息が、洩れる。
アイリスは冷静に告げた。
「ギデオン右将軍の、前将軍の引継事項の中に貴方への賄賂は、入っておりません」
アーシュラスは座ったまま、ダン!と鋭く足を踏み鳴らした。
だがアイリスは顔色も変えずに、つぶやいた。
「・・・賄賂は、ドッセルスキ前右将軍の懐で無く、近衛の金庫から出ている。
・・・これは、不正です。
ドッセルスキは直、この罪状でも逮捕、監禁され、裁判で事情を聞く事になる。
それを受け取った貴方にも裁判所からの召喚が、届くでしょう。
・・・私の、言っている事が、お解りか?」
アーシュラスは鼻で、笑った。
「・・・つまり俺を罪人扱いすると言うんだな?」
アイリスは、だん!と机を叩き、言った。
「扱いじゃなく、罪人だ!」
ダーディアンも、ギュンターもマリーエルも、全うに言葉の通じない野獣アーシュラス相手に正攻法で喧嘩を売るアイリスを、ついまじまじと、呆れて見つめた。
アーシュラスは嗤った。
「俺を、逮捕、拘留すると言う事か?!」
アイリスは、艶やかに微笑むと、告げた。
「・・・貴方の領地には貴方の後釜を狙う継承者が、それはたくさん、居る。
貴方が逮捕され、大公を廃されれば皆さん、大層喜ぶ事でしょうね?」
ダーディアンがつい、つぶやいた。
「・・・俺も、喜ぶぞ」
ギュンターも同感だと言う顔をしたが、さすがに言葉には、しなかった。
当然、アーシュラスが憎しみを込めて激しく、アイリスを睨んだ。
「・・・俺を、脅しているようだな!」
アイリスは、ため息を付いた。
「君があまりにも自分の今の現状を把握しないから、解るよう言った迄だ!
さて。だが私はオーガスタスの意見も、尊重しよう。
彼は君を納得させるのに、決闘だと、言ったそうだな?」
アーシュラスは、丁寧な言葉を取り払ったアイリスが、優雅さはそのまま、だが気迫を増すのを、見た。
「そうだ!」
アーシュラスが乗ってきたのを確認し、アイリスは一つ頷き腕を組んだ。
「・・・その意思は尊重する。が、議長は、私だ。
決闘はこの場で、武器は拳で、どちらかが倒れる迄やってもらおう!」
だんっ・・・!
アーシュラスが、立ち上がった。
「・・・冗談だな?」
アイリスの、気迫が更に増す。その濃紺の瞳はギラリと光る猛獣の青の瞳を見据えたまま、だが口元に微笑をたたえ、低く秘やかに、告げる。
「私は冗談を、言わない」
ウェラハスは猛獣を相手に少しも、気品と威厳を損なわないアイリスに、感嘆した。
「本気で、拳で決闘しろと?!」
アーシュラスが、それこそ激怒して怒鳴ったが、アイリスも微笑を消ないまま、凄まじい気迫で相手を静かに見つめ、つぶやいた。
「そう、言った筈だ」
アーシュラスは、沸騰寸前だった。相手がオーガスタスならとっくに詰め寄っただろう。
だがアーシュラスはアイリスの腹づもりを、探った。
その瞳が、全うで真っ直ぐな瞳なんかじゃない事を彼も良く、知っていた。つい、探るように怒鳴る。
「・・・誰と、話を付けている!
ドムングルか?シャーラーセンか!」
その二人はアーシュラスと大公の座を争った、母親違いの兄弟の名だった。
が、アイリスは微笑を消さないまま怒鳴り返した。
「明かす馬鹿が、居るか?切り札を!」
その、優美にすら見える男の微笑を、アーシュラスは心の底から歯噛みして呪った。
ダーディアンもギュンターも、アイリスが背後で手を回し万全の準備で事に臨むやり方を、知ってはいたがこの公の場で、やはりとても優雅に、本人にだけはちゃんと解るような脅しを掛けている事に、呆れ返った。
マリーエルはつい、武器を、取り上げた上での遠慮の無い脅迫の、その海千の老獪なやり口に、腕組みしたまま、唸った。
アーシュラスはその、底なし沼のような恐怖を与える静かで優雅な男に、仕方無さそうに憮然と怒鳴った。
「拳だな?!」
アイリスは、艶然と、微笑った。
「・・・拳だ」
アーシュラスはそれでも、激しくアイリスを睨み付けながら、いつドッセルスキのように自分の足元を掬うかもしれない男を、睨み据えた。
事実、ドッセルスキは間違いなくこの男にして、やられたのだ。
アーシュラスが、怒りを腹に、それでも座ったのでアイリスは少し俯くと、告げた。
「金の件が、決着が付いてなかったな?」
アーシュラスに確認を、取る。
「肌白もだ」
アイリスは、頷いた。
「西領地[シャノスゲイン]のウェラハス連隊長がその件を、収めた筈だが?」
アーシュラスが喚いた。
「・・・あれは、違法だ!」
アイリスは、顔を、上げた。
「・・・いいだろう。君に前回の件で侮辱を受けたと、ローランデの息子マリーエルが名乗りを上げている。
そして、ギュンターもだ」
彼は二人を、見た。
「君と決闘したい男が二人居る以上、金、肌白の二件で決闘を、認める。但し、言った通り、拳でだ。
この条件を飲むか?」
アイリスが、じっと促すように・・・最もアーシュラスには脅すようにしか見えなかったが・・・彼を、見つめた。
「・・・俺が殴り倒したら、金も肌白も、言うがままだな?」
アイリスは見つめたまま言った。
「負けたら金はギュンターが、肌白はマリーエルが請け負う」
ギュンターは、アイリスの言い様に、肩をすくめた。つまり、絶対負けるな。と言う事だ。マリーエルも黙したままその瞳は気迫を、増す。
「立会人を、呼んだ。彼らの前で宣誓して貰おう。
決闘で決着を付ける以上、君は一切の報復を、関係者の誰にもしないと。
君の、誇りにかけて」
アイリスがそう言うと、アーシュラスが、それは嫌そうに、彼を、見た。
「勝負に誓うのは聞いた事があるが、誇りにかけて誓わせる気か?」
アイリスはしゃあしゃあと続けた。
「勿論、君が宣誓を破れば君の誇りは、地に、落ちる。
君も知っての通り、私は『神聖神殿隊』付き連隊で君の領地にも、度々訪れる。
君の領地で君の誇りが泥まみれだと領民が知り、そんな男を大公に据えたまま大人しく従うかは、君も知っての、通りだ。
南領地ノンアクタルでは、誇りこそが“男"たる、証だそうだな。
・・・そして領民は、“女"には、従わない」
アーシュラスはその侮辱に、心から沸騰して怒鳴った。
「いい加減覚えろ!お前の言っている事は全て、脅しだ!」
が、アイリスも怒鳴り返した。
「覚えるのは、そっちだ!
私は事実しか、口にしていない!」
二人の、睨み合いが、続いた。
アーシュラスは一番最初に報復の標的をお前にし、闇に紛れて襲撃し殺してやりるぞと睨み、アイリスはその報復の前にアーシュラスを捕らえ、彼の後釜に座りたい兄弟にその身を、売ってやる!と、凄んだ。
だが相変わらずアイリスの、底冷えする微笑は、消えたりはしなかったから、アーシュラスはつい、意思を挫かれたように瞳を、微かにそらした。
アーシュラスはには、解ったのだ。アイリスを急襲する自分の部下は、アイリスにとっては自分の縄張りも同然のこの都には、数える程しか居ない。
だが自分の敵は、寝首をかく事の出来る膝元に、ごろごろ居ると。
だがアイリスはつぶやいた。
「覚えておけ。君の最大の敵は、君が思い描ける人物じゃない。どれだけ頭の中にその無数の顔を思い描いたとしてもだ」
アーシュラスは憮然と、唸った。
「つまり、ドムングルでもシャーラーセンでも無いと、言う事か?!」
アイリスは、微笑んだ。
「勿論、君が私の言葉を、信じればの話だが」
皆がこのアイリスの見事な駆け引きに、相変わらず最高に嫌な相手だと、彼に賞賛を送った。
アーシュラスはますます、かっとしたが、嘘を言ったのか、真実かと詰め寄った所でこの肝の座った男が明かす筈も無く、アーシュラスは自分の真の敵が霧に包まれたように解らなくなって思い切り苛立ち、アイリスをただ、睨み据えた。
だがアイリスは止めの釘を、刺した。
「君がやり損なった時、次期大公の名を聞いて君は真実を知る。
・・・だが、そうならない為には、ドッセルスキがなぜ廃されたのかを良く、考えるんだな」
ギュンターも、ダーディアンも、やっぱりアイリスを敵に回すと最悪だなと思って顔を、下げきった。
つまりドッセルスキのように人非人な事を平気でするならいつでも廃してやるぞと、言ったのだ。
だが実績が有る以上、彼の脅しは有効だと、マリーエルは感じた。
事実、アーシュラスは大人しく、なった。以前よりは。
「立会人を、出せ」
アイリスは部下に振り向くと、頷いた。
つづく。