入浴できるか、どうかというのを施設内の大浴場で行った。洗い場まで行けるか、身体を洗うことができるかチェックするのだ。


脱衣は問題なくできるとして、洗い場までは装具を装着して、介助イスに着座する。シャンプーや身体を洗うことはなんとかできるが、やはり問題は移動のときに足指が曲がってくることだ。移動で足を滑らす可能性もある。


あとは、手すりがあっても、右手ではうまく掴めなく、移動が思うように行かないこともある。
身体の洗い残しなども若干あったようだ。


施設の大浴場は、完全バリアフリーだが、自宅の浴室はバリアフリーにはなっていない。


湯槽も高さがあり、うまく入れるか疑問はある。


聞くと、入浴用の装具もあるみたいだが、やはりプラスチック性で滑ることは滑るので、入浴用のマットなどを敷くことで対処している人もいるそうだ。


入浴するだけで、さまざまなハードルがあることを思い知らされる。


施設内の車イスでの走行が自由になった。まあ、自由になったからといって、行動範囲がスゲー拡がったわけでもないが、小さな一歩ではある。


小さな一歩を積み重ねることで、大きな成果が生まれると期待はしている。


次は、歩きによって施設内を移動できることが目標である。
まあ、八月に入院したときを思えば、格段に進歩はしている。
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東野圭吾氏の「虚ろな十字架」(光文社)を読んだ。

単純な物盗りの犯行だと思われた殺人事件。その被害者は以前に息子を殺された犯罪被害者だった。暴かれる幼い者たちの犯罪、罪とは何なのか? その贖罪とは何なのか、東野圭吾の描く社会派犯罪ミステリー。

都内でペット埋葬業を営む中原正道の元に刑事が訪ねてくる。元妻の小夜子が刺殺されたというのだ。
中原と小夜子は昔、娘の愛美を強盗に殺されたいた。

犯行を行った蛭川と、何か関係があるのではないかと思われたが、娘の事件以降、小夜子はジャーナリストとして活躍していた。犯罪被害者の会や、さまざまな活動をしていたことを知る中原。


万引き常習者の井口沙織と連絡を取っていたことを掴む。また、大学病院に勤めている医者・仁科史也とも頻繁に連絡を取っていたことも分かった。


何故、小夜子は殺されなければならなかったのか、意外な事実が浮かび上がってくるという内容です。


井口沙織と仁科史也が中学時代に犯した罪が、犯罪被害者である小夜子が殺されることになる身勝手な理由に結果的になります。殺した者は、社会的に罰を必ず引き受けなければならないのか?誰にとっての正義かというのもあります。


死刑制度廃止論者と犯罪被害者の感情の問題もあります。


富士の樹海が印象的に出てきますが、わたしも樹海には撮影で行ったことがありますが、あそこにすべてを捨て去ることはできません。
見守りありだが、自立歩行でトイレまで行くようになった。トイレまで三メートルもないのだが、ヨチヨチ歩きなのが、情けない気もする。


私の予定では、もうスタスタ歩いている予定なのだが、かなり山は険しく高いようだ。


退院する人も多くなっている。やはり年末年始は、病院ではなく、家で過ごしたいということだろう。


例年、管理人の仕事で年末年始は、会社別で過ごしていたので、病院での年越しはちょっと変わった年越しになりそうだ。


OTでは、台所で家事などができるか、物の移動などスムーズにできるかなどを行った。


物を移動させるだけで大仕事である。右手が定まるところで、定まらないし、複数のタスクをこなそうとすると、バランスを崩しそうになる。右手でバランスを取ろうとすると指が変な方向へ行こうとするので難儀である。本当に使えない手だと思い知らされる。


足は、右足全体に重さを感じる。一歩が重く、軽快に進む感じはしない。毎日の足の状態というか、麻痺の状態が違う日が続いている。胸を張ってこれが俺の足だと言える日がない。


足の状態が安定すれば、リハビリも安心して進めることができるのだが…。
速効性のあるリハビリはないものか、自分の身体にあった良い方法はないものか。


一点杖を使い施設内を少し歩行した。四点杖の安定感は半端ないが、自分の足で歩くようにしないといけない。