
安部公房氏の「箱男」を読んだ。
学生時代に「壁~S・カルマ氏の犯罪」「砂の女」「燃えつきた地図」などは読んでいましたが「箱男」は初めて読みました。
元カメラマンの男がある日、大きなダンボール箱をちょっと改造して頭からすっぽりと被り、箱につけた覗き窓から外の世界を眺め、箱男としての生活を始める。
都市には箱男が増えているが、誰もその存在を気にせず、誰も箱男に関わらないようにしている。
箱の改造の仕方からはじまり、ホームレスからの襲撃などから逃れる方法など箱男としての生活の記録を克明にノートに記す箱男。
立ち小便をしていた時に空気銃による襲撃を受けてしまう。箱男は治療を受けた病院の看護婦から、箱を五万円で買い取るので箱を破棄してほしいと不思議な依頼をされる。
その真意を確かめるべく病院を再び訪れると、そこには自分を真似た贋箱男が看護婦と一緒にいた…というストーリーであります。
それまでの世界を棄てるべく箱をかぶることによって、今までと違う生活を自ら選ぶ箱男と、箱男を巡る人々との奇妙で不思議な関係、迷宮を描く実験的な小説です。
読者は、箱男がのこしたノートの記録と切り取られたネガと複数の写真から、その生活、世界を再構築していくのですが、贋箱男の登場によって箱男の存在自体があやふやな存在になっていきます。
箱男として存在の無化をはかる行為から、さらに箱が取り除かれることで、見る者と見られる者の関係、覗く者と覗かれる者の関係の崩壊がはじまり、箱男(=擬制的自己存在)とはこの世界にとってどのような存在であるかが改めて問われてきます。
同作品の主題は、人間存在のあいまいさという哲学的問題を内包しており、いかに時代が変わろうと普遍な物語であり、読む者を魅惑していきます。
箱をかぶることは、世界内存在に、さらに世界との境界を引く行為に見えますが、内は外であり、外は内となる存在形式で自らを武装するようなものであります。そこに心の安息などあるのか?
人間が常識的な倫理観から薄い布切れを纏うことの延長に過ぎない行為でもあり、箱男も、贋箱男も裸の看護婦の存在に散々翻弄されることになります。あらゆる表皮を取り除かれた人間は精神や記憶を巡る産物でしかありません。
風景の死滅した記憶を切り取った写真や、ラジオが流すニュースも死滅した記憶の集積体でしかありません。
不確かなイメージ、都市の回路を浮遊する箱男は、最終的に箱男として自己存在を確認できるのか、できないのか?記録を読み箱男と共犯関係を結ぶ読者をも遠くにある不安という海の中に叩き込みます。
この作品を読む者は、高度情報化社会における人間の匿名性、関係の非肉体性や希薄化に対する予言的小説として解釈することも可能であり、また人間の倒錯した性的イメージや変態的存在性を直接的に明らかにするような、もっと単純で実存的なものだと読者を引き戻すような作品であると解釈することも可能であります。さまざまなアプローチがあり、出口は見つからない物語のような気がします。
小説という形式をとっている世界への密やかな覗き窓から、私たちは何を見るのでしょうか。

