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拓未司氏の「禁断のパンダ」(宝島社)を読んだ。


第六回「このミステリーがすごい!」大賞を受賞した美食ミステリーであります。


神戸「ビストロ・コウタ」のオーナーシェフの柴山幸太は、妻綾香の親友である山下麻紀の結婚式に参加した。


身重の妻と結婚式に参加したくなかったが、披露宴が行われるのが、レストラン格付けガイド「ザガットサーベイ」で高い評価を受けているフランス料理店「キュイジーヌ・ド・デュウ」であったので、幸太は料理人として是非料理を味わってみたかったのである。


披露宴の席では、新郎席に座ることになり、高名な料理評論家の中島弘道と一緒になる。中島翁は、新郎木下貴史の祖父であり、フランス料理店のオーナーでもあった。


高い評価をうける絶品料理をつくるシェフ石国努の料理を食し、嫉妬さえおぼえる幸太であった。


結婚披露宴あった次の日、神戸ハーバーランドで木下運輸に勤める松野庄司が水死体として見つかる。兵庫県警の本多と青山刑事は、木下運輸の専務でもある貴史に事情を訊きに行くのだが、そこで木下貴史の父義明も行方不明になっていることを知る…というストーリーです。


中島翁が披露する食に関する蘊蓄や、ブリア・サヴァランの「美味礼賛」を援用した食に対する考え方、提供される料理の記述などが面白いし、読んでいると、その料理を実際に食してみたくなっちゃいます。


刑事の本多と青山のやり取り、幸太と妻綾香のやり取りも小気味良く、クスクス笑えるところもあります。

ただ、ミステリー的な展開となると、行方不明者がたくさん出ているのにのんびりした捜査や、容疑がかかっている対象者にずいぶん緊張感がないなとか、ちょっとあり得ない強引な設定が気になります。


「禁断のパンダ」というタイトルから、何かしら食べてはいけないものを食べることが関係してるんだろうな、と思って読んでいましたが、やはり犯意、動機やテーマが先にあり、美食というストーリーを無理矢理構築して固めている感が拭えません。


ずいぶん、人が呆気なく行方不明になって、殺されていくなぁ~というのが多かったです。日常と非日常にコントラストをつけ、猟奇的な犯罪を際立たせる効果なのでしょうが、行方不明がそんなに連続しているのに街や捜査陣全体が騒然としていない様がちょっと無理で、現実感が無さすぎやなぁ~と感じてしまいました。


中島翁も、ルイ・ヴァンサン神父も結構な高齢だと思うのですが、いくらスタンガンがあるといっても、女性が多いといっても、体力的には劣るだろうと思われるものが次々に誘拐し、料理するという力はあり得ないのではないでしょうか。

厨房設備が一流でも人間を解体して、料理するには設備は足りないし、フォンドボーにするには頭蓋骨や骨を解体するには外科的設備が足りない気がします。密輸品はすでに肉塊になってるからいいと思いますが…。


美食の行き着く先として猟奇的カニバリズムというのは設定はありだと思いますが、中島翁の神から与えられたという味覚や、神父の若返りのためという動機の形成に、読んでいて、若干のもの足りなさみたなものを感じました。


美食とミステリーを融合させた面白いストーリーではあると思います。


しかし、このミスの候補作となった中山七里氏の「魔女は甦る」の方が、同じ猟奇性を扱うストーリーとしては面白いかな、というのが個人的な印象です。
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伊坂幸太郎氏の「火星に住むつもりかい?」(光文社)を読んだ。


伊坂氏も書いているように、同書は火星を舞台にしたSF小説でも、宇宙ものでもなく 宮城県仙台の地球を舞台にした推理小説であります。


しかし、日本を舞台にしていますが、その世界では平和警察なるものが設立されており、ギロチンによる斬首刑が執行されたり、中世の魔女狩りのように市民による密告が行われ、普通の市民が危険人物として炙り出され警察に連行されることが日常になった世界になっています。


宮城県仙台には、平和警察を設立した薬師寺警視長が任官し、部下である加護エイジと肥後武男は、市民の摘発連行と拷問による自白を強化していました。


市民の中には、善良な人が連行されたり、死刑になることに疑問を抱く人たちもいましたが、声を出せませんでした。また、管内では女子高生を拉致して集団で強姦しようとする大学生サークルによる事件なども発生。


そんな時、平和警察による拷問の事実を盗撮しようと企てた者たちが警察施設に侵入するが、逆に捕まってしまい加護と肥後の厳しい取り調べを受けることになってしまいます。


その拷問の最中に、警戒厳重なビルに侵入し、不思議な武器で警官たちを制圧し、拘束者を解放する正義の味方が現れます。


この緊急事態に警察庁は、犯人捜しのため宮城に特別捜査室の真壁鴻一郎を派遣するが、真壁は平和警察のトップ薬師寺とは犬猿の仲であった…というストーリーです。


相互監視社会、警察権力の強権化の中で、個人や組織において、彼は我は正義をどのように貫けるのか、正義とは何かをモチーフに、劇場的な状況を見事に作り出していくエンターテイメント性の高い小説に仕上がっています。


多様な視点、装置を駆使して、次々に人物たちがつながり、ワクワクするような大団円を作り出していく手法は流石伊坂作品です。


擬態と虫に詳しい真壁鴻一郎が登場してから、俄然面白くなって、えっ!?そんなぁ~、ってなってからのストーリー展開がもう素晴らしいです。読者をミスリードして、期待をいい意味で裏切っていく快感があります。


平和警察と真壁と二瓶コンビの捜査合戦、サクサクっと仕事ができる五島ちゃん、中間管理職の鑑のような刑事部長に対して、ちょっと犯人側=正義の味方、市民の側が強力な布陣ではなかった感がありました。


だからの効果あるシナリオ的展開なのですが…。


警察組織の組織論的な方の比重がちょっと高かった気がしますね。


中世の魔女狩り、戦中の特高が暗躍した社会なんて、ちょっとした時代状況の変転で現出しちゃうし、北朝鮮やイスラム国が行っているような公開処刑が特別な人間たちが作り出している訳ではないこと、人間の集団的意識に巣づくっている闇の部分の恐ろしさを伝える小説にもなっていると思います。


世界の仕組みを複雑化することで、閉塞的、絶望的な状況を作りだしてしまう滑稽な人間に対して、自然のシステムの共犯として生きている植物や虫の方がシンプルに世界の理を実現しているという強烈なメッセージとなっている気がします。


しかし、その真の姿、実像を誰も知ることはないという真壁鴻一郎という変幻自在の愛すべきキャラクターの登場自体がこの作品の一番の成果であり、伊坂作品における今後の活躍、暗躍を期待するものであります。
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薬丸岳氏の「友罪」(集英社)を読んだ。


罪の意識を背負った者たちが出会ったことで引き起こされる様々な考え方と行為を繊細なタッチで描いた社会派小説で、第三十五回吉川英治文学新人賞候補作となっています。


ジャーナリスト志望の益田は、ひょんなことから埼玉県川口市にあるステンレス加工の町工場の面接を受け採用されることになる。


その町工場の寮で、一緒に入社した取っ付きにくい感じの鈴木と同僚たちとの新生活を始めることになる。同僚の清水、内海、先輩の山内とうまく付き合いながら馴染んでいく益田だったが、鈴木はなかなか皆と打ち解けようとはしなかった。


夜寝ていると隣室の鈴木は毎夜悪夢のようなものにうなされている。鈴木の頑ななまでの人を寄せ付けない態度に疑問を抱く益田は、あるとき鈴木の部屋で不思議な既視感を憶える家族写真を発見する。


それは、益田の実家の近くにある遊園地で撮られたもので、その周辺では、むかし子ども殺して目玉をくり抜くという連続殺人事件・黒蛇神事件が起こっていた。


犯人として捕まったのは中学生だったが、その少年は少年Aと呼ばれ、矯正施設で過ごし、そこを出てからの行方は噂話でしか聞くことはなかった。


益田は、その少年Aが鈴木なのではないかと疑う。事実を知りたい益田は、鈴木について自分で調べ始めるだが…というストーリーです。


少年法や少年犯罪、その罪と罰、贖罪に大きな関心を寄せる作者が、犯罪加害者が罪の意識を背負いながら、一般社会でどのように生きていくのか、生きていけるのかをテーマに描いた意欲作です。


神戸児童連続殺傷事件、酒鬼薔薇聖斗事件の少年Aを彷彿とさせる黒蛇神事件がベースになっており、犯罪加害者である鈴木と出会いや交流を通して、過去の罪を背負うことや逃れることができない過去とどう人間は向き合っていくかが、さまざまな登場人物の視点から描き出されています。


鈴木の更正プログラムで疑似家族の母親を引き受けたが家族が崩壊してしまった精神科医の弥生、元AV嬢であることをネタに逃げ回り、実家にも戻ることができない藤沢千代子、息子が通学中の子どもに自動車で突っ込み三人を殺してしまった加害者の父親山内、少年時代に親友に対するイジメを黙認し、親友を自殺に追いやってしまった益田など、鈴木と同じようにやり直すことができない過去を何らか背負い込んでいます。


そしてある意味、鈴木と出会ってしまったことで、自分自身の過去と向き合わなければならなく自分の過去にも向き合うようになっていきます。


何故、人は罪深い過去を持ち、過去を拭いさることができないのか。罪人である鈴木は人生に悲嘆し、何度も自傷行為を繰り返し、死に場所を求めていたが、新しい職場で益田や藤沢と出会ったことで自分の居場所を見付けたように感じていたが、その居場所を結局追われることになります。


鈴木が過去に起こした罪をどう思っているのか、遺族への謝罪の気持ちがあるのかなど、鈴木の内面性についての描写はあまりなく、周囲の人たちの目によって鈴木の存在が浮き彫りになるような構成になっていますが、それでも鈴木の心理がどういうものであるか、なかなか明確にはなっていません。


さまざまな視点、もっと広げて言えば、マスコミとか、世間の好奇の目でしか存在し得ない鈴木という匿名性が鈴木に生きる気力、罪を受け止める本来のあり様をなくさせている気が読んでいてしました。


国による矯正プログラムやサポートシステムで、自分をさらけ出すことができない制度に守られていることで、鈴木は自分の存在を消され匿名化されることで、一生、意味嫌われる化け物と同じ存在になり下がってしまいます。


これをもって、日本的な集団同調による十字架とするか、罪人に与えられた世間の楔とするか。


これで果たして、本当の贖罪の意識が芽生え、自分の罪を自分自身の中に落とし込むことができるでしょうか。


益田の署名記事による懺悔と友である鈴木に対する呼びかけは、人間対化けもの、人間対罪人ではなく、人間対人間、個人対個人、友対友へと関係を還元する一歩、贖罪へと至るであろう希望への慟哭だと強く感じました。